Twitterのトレンドに、「真珠の耳飾りの少女」がエントリーしていました。
しかし、実際は絵の話題というより、スカーレット・ヨハンソンとコリン・ファースの映画の話題でした。深夜にテレビで放映されることが話題になっていたのです。
スカーレット・ヨハンソンはこの映画で、ゴールデングローブ賞など高い評価を受けているそうです。ただのスパイじゃないんですね(ブラック・ウィドウ)。
1,概要
「真珠の耳飾りの少女」は私が好きな絵の一枚です。どんな話が展開されているのかと気になり、見てみました。
正直言うと、物語の展開は月並みです。
あの当時のオランダのデルフトの様子は良く出ているのだろう、と思いました。実際に見たことがないので分からないですけどね。
2,あらすじ
グリート(スカーレット・ヨハンソン)は実家の経済事情の悪化により、下働きに出される。出された先は、画家、フェルメール(コリン・ファース)の家であった。運河の辺にあるその家は、せまく汚い。
グリートははじめ、洗濯など炊事を行う使用人であった。ある日、フェルメールの妻にフェルメールのアトリエの掃除も担当するように申しつけられる。
グリートには非凡な感覚があった。それは色彩と光に対する感覚である。フェルメールはグリートの感性に気づく。そして、彼女に自分の絵の具の調合をさせる。
はじめ、グリートは一番地下室に寝泊まりしていたが、妻にばれないように絵の具の調合をするために、寝室が屋根裏になった。フェルールはグリートに絵の色に対する感性をさら磨き、グリートは絵のモチーフの光の具合などをそっとアドバイスした。二人は使用人と雇用者という立場を越えず、恋人のような精神的なつながりをもって、作品を共作していく。そのことに妻は気づき、疑いを持つ。
3,「真珠の耳飾りの少女」
映画では、グリートが「真珠の耳飾りの少女」のモデルになっていくのですが、あの絵のモデルはもちろん、不明です。
実際に「真珠の耳飾りの少女」が来日したときに見に行きました。上野の東京都美術館で、似ても似つかぬ武井咲がモデルになって等身大のパネルになっていました。
絵の写真などでは、眼が鮮やかなターバンの青に行くのですが、実際に見に行くと印象が変わるという話は以前しました。角度を変えると、真珠の耳飾りが光り輝いて見えるのです。
あの白い耳飾りに意味を込めるという展開でしたが、ターバンにも意味があります。確かあれは、ノマド(ジプシーと書きたいですが、これは差別用語なのでしたね)のもので、あの少女自体、ノマドの子なんじゃないかという説があった気がします。
実際に見てみると、高級な絵の具が使われているというのはわかります。次の機会があったら見に行ってみて下さい。
4,感想「嫉妬」
実際にフェルメールがいい男だったという話は聞いたことがあります。英国王のスピーチのコリン・ファースは典型的な英国中年といった感じでしたが、メイクや髪型でこれだけいい男になるとは思いませんでした。
奥さんが怖い。フェルメールのパトロンは、義母です。その義母の気を引きたいのか、フェルメールは娘である奥さんを常にメロメロにすることに余念がありません。次々に子どもも生まれます。
女性的に奥さんはあまり魅力的とは言えません。なんというか、取り柄がないのです。色彩感覚など、絵の才能ではグリートにまるで及ばない。
フェルメールはグリートをモチーフに絵を描きます。グリートのアドバイスがあってから、絵の作風が変わったに違いありません。そのことよりも、自身の肉欲を先行させます。芸術家の妻としては非常に不出来です。
「真珠の耳飾りの少女」ができあがったときも、これを引き裂こうとして止められます。どんなことがあっても、画家の作品をその妻が破るというのはいただけません。絵を見る審美眼があったなら、そういうことはできなかったと思います。
その奥さんの資質を引き継いでいるのが娘です。娘は洗濯物を汚したことで、グリートにひっぱたかれます。このことを根に持っていて、また父親を盗られることを察知してか、グリートにいたずらをして、追い出されるように仕向けます。
なんだか、「真珠の耳飾りの少女」の創作逸話を見ているというより、一家の嫉妬や執着の様をみているようで、なんだか怖い作品でした。
追記:
こんな記事が後日発表されてました。
真珠は錯覚だったようです。少女の人間味(? と記事にはありましたが魅力で言いじゃないですかね)を引き出す工夫が施されており、背景も黒じゃなかったそうです。