池波正太郎をめざして

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明日は明日の風が吹く

今の心境にあわせてブログ名を変更しました。どうぞよろしく。肩の力をさらに抜いてやります。

もうすぐ冬ってのに「菊次郎の夏」を見ました。

雑記 映画 映画-北野武

 

 こんにちはまさりんです。

 連休いかがお過ごしでしたか。

 家族持ちあるある。連休の方が疲れる。なんか老いたのでしょうか。祝日が入って、ペースが乱れる方が、身体が疲れるんですよね。みなさんはいかが。

下町のどうしようもないオヤジ、菊次郎。 

 以前、作業のつれづれに北野武監督の「菊次郎の夏」を見ました。北野武はこの作品まではずっと、いわゆるおっかない世界を描いてきたのですが、この作品からはちょっと暖かい場面も出てくるようになりました。ちょっとあらすじも紹介しましょう。

<あらすじ>

 東京の下町に生きる小学生の正男は、祖母と一緒に暮らす。父は死んだ、母は遠くで働いている、と祖母から説明を受けている。ある夏休み、友人はみな両親と遊びに行ってしまい、独りぼっち。昼にお祖母ちゃんが用意してくれたご飯を食べていると、宅急便がやって来る。判子を探していると、お母さんが写った写真と住んでいると思われる住所が書かれたものがでてくる。お母さんは「豊橋市」にいるらしい。独り正男は母の元へ行くと決意する。がその直後、街でヤンキーの中学生に絡まれる。普通小学生から金を取ったりすれば、自分が恥をかくのだが、正男から金を取ろうとする。

 そこへ現われた夫婦が菊次郎(北野武)たちだった。瞬く間に追っ払ってくれる。喫茶店で話を聞くと正男が独りで豊橋市に行くと聞いて、妻(岸本加世子)は同情して菊次郎に一緒に行くように命じる。

 この菊次郎がめちゃくちゃ。正男を連れて、まっすぐ競輪場へ。すりまくったあと、正男が適当にいった数字が大当たり。両手に串焼きをもって、嬉しそうに走ってる。そのままキャバクラに行く。翌日も正男に予想させて車券を買うのだが、まったくの外れ。夜、焼き鳥屋のそとに正男を待たせて、自分はいっぱいやってる。その間にホモに正男は襲われそうになる。ボコボコにして金を巻き上げる。その金でタクシーに乗り、やっと豊橋への旅が始まる。

 が、途中タクシーの運転手がトイレに行っている間に菊次郎がタクシーを運転してしまう。のだが、運転の仕方がわからないのか、(たぶん)サイドブレーキを引いたまま運転し、すぐにタクシーが壊れてしまう。二人の不思議な旅はこうして始まった。

 

暴力の世界 

 映画のレビューを書くときにもっと、随筆的な要素を加えて、作品としても面白いものにしたいのですが、これがなかなかうまくいかない。模索は続けましょう。

 最近北野武の作品をレンタルしてまで見ているというのは、以前の自分からは考えられません。この前のソナチネの辺りでも書きましたが、自分自身が割と「暴の世界」の近くにいたからでしょう。学生時分にキッズリターンを少しだけ見ていて、なんだか嫌になってしまいました。「暴の世界」もスターウォーズまで遠くなってしまえば見られるのですが。

 北野作品らしさ

 この作品もヒューマンテイストが溢れているようでいて、北野作品らしい、「暴の世界」がちょこちょこ垣間見えます。例えば冒頭のシーンで、正男はクラスの友達と仲見世通りを走り抜けます。その先に中学生の不良グループがたむろしていて、それが後のシーンへの伏線になっているのですが、よく観ると、電柱と建物の間に挟まるように酔っ払いかホームレスか、判然としない人間が寝ていたりします。菊次郎も、ちょっと無頼を気取っていて、やくざとの格闘のシーンがあったりします。もしかすると、今の三〇代、四〇代の人間が昔感じていた、ぞっとするような局面の匂いを思い出してしまうかもしれません。

 私の出身地について書いたことがあったかもしれません。よく知っている人には名前を出身地を告げただけで「大変だったな」といわれるような場所だったみたいです。幼いころはそれが普通であって、変な感じはしませんでした。慣れというのは恐ろしいものです。今って、あんまり不良っていないんですかね、総数をカウントすると。昔は、普通にいたし、カツアゲもありましたよ。もちろん私はやっていませんが。父が若いころには、普通に街中で本職の方の襲撃戦があったらしいし。

 そのときの匂いというか気配を北野映画に見ると、自分の奥底をのぞき込んでいる気分になります。暴力に対する恐れというか、そういうのがすっと出てくる気がします。それは嫌なはずなのに、どうしてもそれをしたくなる。不思議なものです。

どうして「正男の夏」ではないのか。 

 二人が豊橋に向かう途中、正男にとっては不思議な体験を幾つもします。豊橋では小学生には辛すぎる現実が待っています。想像が付くと思いますが。旅の途中に出会った、ヒッピーのお兄さん(あんちゃん=今村ねずみ)と、二人のバイカー(井手らっきょグレート義太夫)とキャンプをするのですが、そこで正男を慰めるように、コントのようなことを繰り返します。

 作品を見ていて、序盤で「どうして『正男の夏』じゃないんだろう」と思いました。でも、菊次郎と一緒でなければ、正男はこの年の夏が違うものになったのだと思うのです。だから、「菊次郎の夏」なのだと。

 ソナチネでは暴の世界に戻って映画は終わります。しかし、今回はそれはありません。

不毛な夏休みだよね、だいたいみんな。 

 学生時代の夏休みって何してたんだろう、と想像しました。高校のときは、バンドの練習(下手くそ)、友人とカラオケ、河合塾の夏期講習、くらいかな。中学校のときは、剣道部の幽霊部員だったので、練習に出たり、出なかったり。塾の夏期講習。小学校のときは(段々遡りながら思い出しています)、母方の実家に預けられるか、友だちと夜七時過ぎまで野球をやったりしてたな。まるで有意義な夏は過ごしていないし、何してんだろうね。不思議なこともあったかもしれないが、出てこない。

 大学生の夏は、これも有意義なことは一切していないけど、密度だけは濃かったな。それはいずれ書くことがあるのでしょう。

 正男と一緒で、友だちがみんなどこかに行ってしまったような感覚は持っていました。けれども、小学校のプールに行くと、たいてい知っているヤツがいて、適当に遊んでいました。小学校低学年、中学年に入るくらいまでは身体があまり強くなかったので、両親も無理をさせなかったのでしょうけれども、このときに、有意義な何かをしていたら、人生変わったのかもしれません。正男みたいな楽しい、不思議な体験は、大学生のころに体験したな。

たけしは本当に映画を作るのが好きなんだろうな 

 以前、ソナチネの感想を書いた後に、ネットに転がっている、ソナチネのメイキングを見ました。沖縄でのロケをして打ち上げを夜通ししているのですが、本当に楽しそうでした。テレビでもあまり見たことないかもしれないというような笑顔で、武は躍りまくっていました。ああいうことをしないシャイなタイプだと思っていたので、ちょっと意外でした。ソナチネでも、途中コントのようなシーンがとても良かったと思うのですが、バイカーとあんちゃんとのよい感じは、ソナチネに続き、またもや疲れた人におすすめです。

正男の夏はなにも変わらなかった夏。

 正男は旅を通じて、成長はしていません。悲しい現状は何も解決していません。破壊も何もなくて、何か問題が解決してしまう話はなんか嘘くさいです。でも、悲しい現実を持った人間のために映画や芸術などの娯楽があるのだということがよく分かる映画です。「まあいいか」と正男は思ったのではないでしょうか。「まあいいか」と思わせてくれる映画でした。

 

 PS:天使の鈴というのが出てきますが、これは熊さんが作ったんですね。あと、久石譲ピアノ曲がよかったですね。武がこだわったらしいです。「summer」って曲だそうです。ちょっと泣けます。

 

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