今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

処女のままに嫁に行くーー十分日記29

 

「5時に夢中!」という伝説的な番組が、東京MXでやっていて、それを今は月曜日だけ見ている。

月曜日は、マツコデラックスが出ていて、この番組はマツコデラックスの出世番組はなので、見ている。若林史江の下ネタが本気で鬱陶しいのだが、我慢している。

 

番組のほとんどは「夕刊ベスト8」といって、夕刊紙の内容をあーだ、こーだ、言うコーナーで占められている。

順位は忘れたが、今日は読売新聞の内容を扱っていた。それは読売新聞の人生相談の欄であった。

 

一時期、読売新聞を毎日読んでいた。

そのとき感じたのだが、読売新聞の人生相談は他紙に比べて、面白い。

ちょっと調べて見たが、もしかすると紙面でしか読めない内容かもしれない。

 

さて、今日の相談だが、二十代の娘さんを持つ母親の相談だ。

この娘さんが親に内緒で男と旅行に行ったというらしい。

娘は嘘をついて、女友達と行った、ということだった。

母親としては、娘には結婚するまで貞操を守ってほしかった。

母親の考えは古いものなのだろうか。

という相談だ。

 

相談を受けた人の答えは、「娘さんは嘘をつくだけの理由がある。それは母親にもあるのではないか」というものであった。

 

しかし、私は変なところに疑問を持った。

この「処女のままの嫁入り」というあり方が、本当に昔からのものなのだろうか、ということだ。

昔は性に奔放であった。この「昔」とは、明治以前だ。江戸時代の庶民がそういう感覚を持っていたのだろうか。

「処女のまま嫁ぐ」ということの方がレアケースなのではないか。

古代になると歌垣なんてものが、一部の地域にあった。

歌垣とは祭りの時間帯に、若い男女が集まって、性的な交流をするというものだ。穏当に書いた。要するにフリーセックスである。

これがきっかけで結婚することもあった。つまり、結婚前に行ったということだ。

この母親の「古い」とはいったいいつのことを指すのであろうか。

 

どうも、この「処女嫁入り」は戦前、一部の上流階級だけに限定される気もする。

要は政略結婚させるのに、傷物なのも如何なものか、という現代的価値からすれば、はてなの女史たちが目を剥きそうな発想で行われたものである。

 

若い男女が気持ちを通いあわせれば、肉体関係になるのは自然なことである。

若くなくとも斉藤由貴のように契りをかわすのである。

あのしどろもどろの感じは艶かしい。

 

もちろん、先の母親が上流階級のしゅつじであれば、そういう感覚も持っている可能性はあるが、逆にそれは娘を物として見過ぎなのではないだろうか。

 

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