今日の十分日記

今日の十分日記

原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

短編小説の集い、運営方法の変更。町山V.S.菊地論争、もうどうでもいいや、セッションの方ね。

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 大特価セール中のまさりんです。どうぞよろしく。意味はありません。

 いやあ、年の瀬です。いかがお過ごしですか。実は、今年から家にいるときには腹巻きを着用するか迷っています。外にいて動いているときはそうでもないのですが、家でじっと何かをしているときは、意外と身体が冷えていると感じることが多くなってきました。もともと、寒がりなので、とても意外なのですが。特におなかが弱いので、腹巻きでそこだけは冷やさないようにしようと思うのですが。最近、腸の動き、腸内細菌と免疫や体内時計などの関わりが分かってくるようになっています。おなかの冷えは大敵なのです。

 

 昨日は「第十五回 短編小説の集い」の感想を書いた。

【第15回】短編小説の集い とりまとめと今後のお知らせ - 短編小説の集い「のべらっくす」

 いつもそれを主催者の主催者様がまとめてくれる。今回はそこに運営方針の変更があった。これから出す人は、①自己の作品の振り返りをせよ、②出された作品に対する感想を書け、というのが基本の変更点だ。振り返りはよい。多くの作者がこれを実施しているようにも感じる。

 問題は②だ。結構他人の作品の感想を書くというのは難易度が高い作業だ。私はできうる限り、それをやろうと試みているが毎度苦労している。それに「作者が聞いたら喜んでくれるもの」という条件もつく。これはたぶん、「作者のためになるもの」を書け、ということだろう。書くうえで、ためになる情報を提供するということか。「批評をせよ」ということか。「喜んでくれるもの」というものだと、作者がこだわって書いている部分を開陳するか、気づいていない魅力を抽出するか、ということになろう。

 読んでいて、「うっひょ~い」と叫んでしまった。大丈夫でしょうか。出品数が低下している上に、ハードル上がってますよ。ちょっと心配だ。「感想を書け」は任意にした方が良いのではないでしょうか。振り返りはいいですよね。まあ、反応がないと、自分ではまずまずだと思って出しているんだから、反省点が出てこない。それは事実である。

 今回も、感想はとても役に立っている。なおなおさんの「キャバクラだと思った」というのはショッキングだった(はっきり冒頭で書いているからね)。でも、何回か印象をつけなければ、ミスリードしてしまうということは参考になった。主催者様の視点の切り替えは、ハッキリ言ってやる気はない(すいません)。いや、たまにはいいのかな。ケイの視点か。男の自分がどこまでできるのか、試してみてもいいですね。とにかく、テーマになるところから書きだすことが、あの枚数だと大切なのだ、ということを再認識した。

 そろそろムチを振るうときだろうか。「whiplash(邦題:セッション)」がおもしろいと言っていてなんだが、「褒めて伸ばす」というのが私の基本的なスタンスだ。そして乗っけて乗っけて、レッドゾーンへ行くというのが理想形だと思っている。「お祭り気分で地獄を越える」のがいいのだ。あの先生と逆のスタンスであるが、目指している地点は一緒だ。

 そうそう、町山智浩菊地成孔の「セッション」に関するやりとりを読んだ。以前、こういう論争があったというのは知っていたが、「セッション」を見ていないので、読むのを保留していた。感想を書いたあとに読んでみた。立場は町山評に近いと思う。一応、リンクを並べるが、読まなくてもいい。

「セッション!(正規完成稿)~<パンチドランク・ラヴ(レス)>に打ちのめされる、「危険ドラッグ」を貪る人々~」 - naruyoshi kikuchi INTERNET TROISIEME

菊地成孔先生の『セッション』批判について - 映画評論家町山智浩アメリカ日記

町山さんにアンサーさせて頂きます(長文注意) - naruyoshi kikuchi INTERNET TROISIEME

町山さんに激敗(笑) - naruyoshi kikuchi INTERNET TROISIEME

『セッション』菊地成孔さんのアンサーへの返信 - 映画評論家町山智浩アメリカ日記

「町山さん手打ちにしませんか(笑)」 - naruyoshi kikuchi INTERNET TROISIEME

 要するに菊地氏の言いたいのは、「ジャズ観が気にくわない」、「演奏が拙いというか、いやだ(これが論旨に近いだろう)」という二点に集約される。私はよく知らないのだが、作中に描かれているのが、白人権威主義的ジャズなのだそうだ。だが、アメリカの学校で教えるジャズというのはああいうものだ、というのが一般的な印象だろうし、なんとなくそのとおりな気もしなくもない。

 それに、あれは監督の個人的な体験に根ざした物語なのだそうだ。そうだとすれば、もう誰も否定できない。あとは、好きなのか、嫌いなのか、という問題で、否定すべきかどうか、というスタンスはそれこそ間違いだ。

 数日前までは菊地氏への怒りがもう少しあったのだが、どうでもよくなってしまった。というのは、音楽ものの映画で、音楽の質を問うというのはどうなんだろうか、と思ってしまうのだ。もちろん、映画音楽はすばらしいものがたくさんある。が、劇中役者が演奏するというパターンで、その質を問うのはちょっと反則な気がする。「beck」や「ナナ」で音楽の質は問わないだろう。

 論戦のなかで、ロッキーでボクシングがなっていないというのは野暮だ、というものがあるが、そこは「成り立っているのだ」と自分にフィルターをかけて見るべきだと思う。ジャッキーチェンが酔拳のなかで本気で相手を殺そうとしていない、と言っても意味がない。

 もちろん、このブログでかなり前に書いた、「ラウンドミッドナイト」のように、本当のミュージシャンが弾くことがある。それだって、好き嫌いはあるだろう。そこは斟酌しなければならない。と個人的に思う。

 

masarin-m.hatenablog.com

 私は個人的にはあの先生も主人公も、ジャズの音楽の世界に陶酔している気がするのだが。でなきゃ、あれだけ他人を追い込めないし、ついていけないだろう。勘違いしてはいけないのは、あれは最後まで先生は生徒を試し続けているのだから。もちろん、やり方は感心しないけどね。

 ビートルズだって、プレスリーだって、追い込まれた時期はあるのだ。ビートルズはドイツのハンブルグでデビュー前に、一日のほとんどを演奏し続けるような日々を送った。プレスリーだって、過酷な全米ツアーをした。そうやって、演奏力をあげたのだ。

 中高の吹奏楽のレベルだって、ハイレベルな部はけっこう生徒を追い詰める。生徒だって、(気持ち悪いほど)その世界に陶酔して、部について行く。精神的にいかれるヤツもいる。咬ませ犬だって、現実世界で結構使う(大きな声で言えないけど)。

 そうやって、音楽でも運動部でも、勉強だって、レベルを上げるのを見聞きする。現実はそんなにキレイなことをやっていては教育レベルの向上は見込めないとクソ教師は考えているのだろう。自分の子供を咬ませ犬にしたくなかったら、そういう現実を知る必要がある気がするのだが。

 

 

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