今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

大阪なおみーー十分日記195

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北海道の地震の影響、特に電力供給が予想よりも早く復旧して何よりだ。北電の方々が不眠不休の活動をしていたという話も聞く。こういうときになんといえばいいか分からないので、「お疲れ様です」と慰労の言葉をかけたい。お疲れ様は目上の人が・・・・・・、まあいいか。

北海道といえば、最近話題の大阪なおみのお母さんの出身地だ。お父さんがハイチ出身なので、(こういうことを書くのははなはだ申し訳ないが)容姿が外国人ぽくなる。

「出た出た」という話だが、「あの人は本当に日本人なのか」と言い出す者が出ているらしい。出自的には歴とした日本人だ。彼女が登場したときにいずれこういうことを言い出すヤツが出てくるだろうとは思っていた。

私が誤解していたのは、彼女の親御さんのどちらかが大阪出身であり、彼女の名前は芸名みたいなもので、付けたのは藤山直美だと思い込んでいたことだ。

 

どこから見ても、彼女は日本人だ。血脈的にも、国籍(現在は日米の二つの国籍を持っている)的にも。ただ、日本語があまりしゃべれない。これは小さい頃からアメリカにいたからだ。そういう日本人も多く存在する。当たり前の話だ。

では、「彼女を日本人として認めてよいものか」と言っている連中の本当の理由は一つ。

「みかけ」だ。

見た目が日本人然としていないのでそう言うのである。

 

ここで言っておくが、民族的出自は一番言ってはいけないものだ。

民族なんてほとんど嘘っぱちだからだ。

一応、日本は大和民族が本来の民族で、と言うが、この大和民族だって、統一的な民族であるか怪しい。いや、民族というくくり自体が政治的なくくり方で、嘘っぱちである。

街を歩いてみればわかるが、いわゆる大和民族的な容貌をしている人達も、よくよく見てみれば、「中国人」「朝鮮半島人」「モンゴル的な人」「南方系の人」など様々な人々が寄せ集まっていることがわかる。

昔司馬遼太郎は、日本人騎馬民族説を唱えていたが、騎馬民族だけで日本人は構成されていない。

平安以前には積極的に渡来人を受け入れていたこともある。秦氏はその名残の名字で、京都の太秦は秦氏の領地であったことはよく知られる。

民族や血筋ではなく血脈でくくるなんて、土台無理な話なのである。

 

もっとも、食べているものや摂取している文化が違うと、なんとなく差異があるような気はする。それは関西人と関東人の差程度の話で、それほど大きなものではない。

 

「大阪なおみ非日本人説」を唱えている人々はいったい、どのような学生生活を送ってきたのだろうと思う。そういう感覚は子どもの頃に養われる。始め、「ん、本当に日本人か」と思っても、ご両親のことやらいろいろ話を聞けば、普通違和感は解消される。「腑に落ちる」のである。

周囲にインド人と大阪人のハーフ(本人はこう表現していた)の同級生がいた。見た目は浅黒い肌を持っていた。だが、下手をすればこの同級生のほうが自分より各種能力が上で、卑下する理由がなかった。もっと子どもっぽく言えば、普通に友達だった。だから、大阪なおみのような存在があるのは理解できるし、違和感もない。

 

もう日本人をくくる方法というのはなくなっていると言って良い。

便宜上、「日本国籍を有している」くらいのもので、国籍を持ちながら海外に住んでいたり、日本で住んでいても在日の方だったり、もしくは国籍は外にあっても仕事などで日本に住んでいたり、様々な状況にある。それをひとくくりにする方法はなかなかない。海外からやってきて、医療費を踏み倒す者がいるらしいが、それは別の問題だ。

 

ただ、大阪なおみの場合、親御さんが日本人なので別だが、別の国の出自で国籍を移すときに、受け入れる条件として「日本語が話せること」というのは、議論すべきなのかもしれない。

日本人になってもらって、その後に様々なサービスを受けたりするときにも、普通に生活するのにも日本語がないと困るわけだし。アメリカなどは英語が話せること、アメリカの国家を尊重できること、などが移民の条件だ、というのをかなり昔に聞いた。今は知らない。

難民などで一時避難する場合は別だが、通常に移民する場合、それくらいの条件は満たしてくれたほうが良いのかもしれない。

 

2018USオープンテニス大坂なおみ優勝記念号 2018年 10 月号 [雑誌]: ダンクシュート 増刊

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