先週、「浮世の画家」というカズオ・イシグロの作品がドラマ化されていてみた。結論から言うと非常に面白い作品だった。
主演は渡辺謙。渡辺謙はNHKと相性が良いのか、非常に面白いものを作る。今回のこの作品も、渡辺謙の代表作の1つと言い切っていいような素晴らしい出来だった。
NHKは今やテレビ界の中では非常に尖った存在になっている気がする。
ドラマの内容は今の世間の動きに非常に呼応したものであった。そして今の社会における様々な動きをくさす内容でもあった。
簡単にあらすじを書くと、画家の小野(渡辺謙) は若い頃から非常に野心的な人間だった。安価な日本画を大量生産するような工房からそのキャリアをスタートさせる。そこから有名作家であった森にスカウトされ彼の弟子になる。時代は第二次世界大戦の頃になる。
森はその当時の花柳界に美があると信じ、政治家とも仲良くなり、花柳界に通い詰めになる。そこで花柳界に住む女たちなどを描いていた。小野はその当時の野心的な若者で、戦争前の全体主義的な空気に敏感に反応し、プロパガンダ的な絵画を描くようになり、その地位を向上させる。
それは花柳界に美を見出す、いわば大正時代的なスタンスである師匠森の考えと拮抗するものであった。やがて、師匠とたもとを分かつ。
細かくは書かないが、戦争中には誤解からではあるが弟子をも売り渡す。
実は物語自体は戦後数年経ってから始まる。その当時小野は戦争協力への慙愧の念から断筆していた。そのとき、小野の娘に縁談が持ち上がる。そのお見合いの席で小野は過去の戦争協力について反省していると突然切り出す。相手方の弟が小野がかつて裏切った弟子に、美大で教わっていた。錯覚かもしれないのだが、弟の小野を見る目が非常に厳しく、それにやられてしまったのだ。
これから見ると言う人もいるだろうからすべては書かない。
#me_tooに関してもネトウヨに関しても、左翼的な活動に関しても、性急で攻撃的な社会運動を見ているといつも小野のようになるような気がしてならない。
結局は社会から利用されていて、用が済めば捨てられる。過去何度となく繰り返されてきた過ちを再び犯してしまうような気がしてしまう。その活動が急進的であればあるほど、その感覚は増す。
カミさんとそういうことを話していたら、「そういう人は自分だけはそうならないと思っている」と言われた。ごく身近な人たちを見ていてもそんな気がする。もちろん、国単位でもなく小さな組織でもそうである。やってもらわねば困るのであるが、全員が薄氷を踏みながら歩んでいるように見えてしまう。
小野のように野心家であればその歩き方は滑稽であり、その思いが純粋であれば危惧から止めたくなってしまう。
きっとそれは一番初めに主体的に好きになった小説家が吉川英治で、自分で買って読んだ小説のはじめも吉川英治の三国志だったからだろう。三国志は戦時中に書かれた。だからか、特に諸葛亮孔明が登場してからは、忠君愛国的な色彩が強くなっている。吉川英治が軍国主義に呼応して野心的にそういう作品を書いたかどうかはわからない。なんとなくその当時のルールに従って書いただけであるような気がする。
戦後、ご多分に漏れず、彼も責められた。
そんな経緯を知っていたからか、野心的に、そして純粋に、急進的な活動をする人間の危うさに忠言を言いたくなるのであるが、こういうのはたいてい耳に逆らうものだ。黙ってみているよりない。
自分が正しいからといって、相手が素直にそれに従うなんてことはない。何かを奪われそうになれば、相手は必死に戦う。それはわかっていたほうがいい。正しいかどうかでなんて人は動かない。どんな理由があろうとも、人から何かを奪おうとすれば、人は戦うのである。
とにもかくにも、この年になって、隣で一緒に見ていた人と、色々語りたくなってしまうテレビドラマを見られたのはとても嬉しかった。