今日、昨日は暖かだった。夕方買い物に出ると、暑がりで気の早いものはすでに半そでで歩いていた。
先日、セブンイレブンの社長が交代した。裏では様々な事情があったらしい。傍から見れば、24時間経営を不可能と判断したオーナーと本部が少々トラブルになった(少々ではない?)経緯が影響しているように見える。
元コンビニ店員である私には、コンビニの話はとても身近だ。とはいうものの、働いていたのは九十年代の話であり、それから多くの機器が導入された店舗には対応できないだろう。各種支払いでも、昔は公共料金くらいであったが、今は違う。ネットの支払い代行などもする。事情がずいぶん違う。その頃は食品廃棄もそれほど問題になっていなかった。問題がなかったわけではない。私の店舗では食品廃棄は、店員に割引販売し、余りは養豚業者に売っていた気がする。
私がやっていた時間帯は深夜帯であった。あくまで私の働いていた店舗の話であるが、深夜帯は営業と並行して、清掃や物資の補充など、店舗の管理業務を多く行っていた。24時間営業をしないということになると、このような業務をいつやるのだろうか、と不思議に思う。
結局、その負担がどこかに転嫁されるだけで仕事が楽になるわけではない。
治安維持に役に立っていたかはわからない。海へ続く一本道の途中にあるコンビニで、周囲は人家が集群する場所のはずれであり、まあまあ明かりもまばらな場所だ。だから明かりを見ただけでほっとしただろう。
セブンイレブンの社長がこれから24時間営業をどうしていくのかはわからない。
しかし、就任時の談話をNHKでやっていた。
「コミュニケーションが根詰まりしている」と現状を判断していて、それをオーナーと社員が「膝詰め」で話し合っていくという主旨のことを言っていた。それを聞いて面食らった。
ネットのどこかにその談話が載っていないかと思ったが、流通新聞で近いものが存在していたが、「膝詰め」という言葉は書いていなかった。配慮して削除したのかもしれない。
「膝詰め」とは説得するときに使う。それもかなり強引に、それも悪だくみに近いことを強制するときに使う。この言葉を聞くたびに思い出す話がある。関ケ原の戦いの前、家康は多くの大名と小山会議を開く。その前の夜に、家康はある人物を「膝詰め」で説得する。相手は福島正則だった……。確認したら、説得したのは黒田長政だった。
ただ、暗い中で相手の膝を自分の両足で挟むようにして顔を近づけ説得していく様子だけがなぜか頭に浮かぶのである。そうやって説得するときに使うのが「膝詰め」だ。司馬遼太郎だろうか、隆慶一郎だったろうか。そんな描写をしていた。「コミュニケーション」はご存知の通り、双方向のやり取りの時に使う。「膝詰め」は昵懇であるときには使わない。
新社長はそれくらいのことは知っているだろう。つまり、本音が出たとするのは意地の悪い見方だろうか。