池波正太郎をめざして

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「石原莞爾アメリカが一番恐れた軍師」早瀬利之

石原莞爾

 石原莞爾とは上の写真の人物です。(写真はwikipediaより)石原莞爾は、「最終戦争論」の筆者として有名です。「決戦兵器が飛躍的に発達し、特に飛行機は無着陸にて容易に世界を一周し得る」など三つの条件を満たしたときに、最終戦争が起こると予言した人です。

 また有名なエピソードとして、東京裁判に証人として出廷しろと言われたとき、「お前らが来い」と言い放ったそうです。また、実際に東京裁判に出廷したとき、「満州事変がすべての原因だというのなら、自分をなぜ戦犯として扱わないのだ」と言い放ったそうです。

 そして、「過去にさかのぼって責任を問うなら、ペリーを連れてこい」とも言ったとか。「二一倍の中国軍に勝つ自信があったのか、いささか無謀に思うが」と裁判長に問われたとき、「戦争は作戦だ。私が指揮をとっていたら、その席(裁判長席)に座っているのが私で、ここに立っているのが君だったのだ」と言ったそうです。

 

 本書はこの石原莞爾が、満州共和国設立に奔走する様子を紹介しています。

 陸軍の軍人だというと、好戦的な人物を想像されるでしょうか。まあ、好戦的です。好戦的ですが、石原の場合、政治家の素養も強く、国家経営という視点を持っていました。日本の場合、政治家というと、永田町で汲々と人間関係を調整しているだけというイメージでしょうから、思想家の素養が強いと言った方がいいのでしょうね。

 

 大体、日中戦争が拡大していった背景には、関東軍の戦線拡大が原因としてあげられるのですが、石原が実権を握り続けていたら、同じ戦争のあり方ではなかったかもしれません。

 それは満州国設立時の大局観に表れています。

 石原はアメリカが最終的な戦争相手になること。その戦争に対する準備がまだ足りていないということ。それには10年近くかかること。その戦争の鍵は戦闘機にあること。

 これらを見抜いています。

 「男たちのヤマト」という映画を思い返すと、最後出航した大和は敵艦に遭遇する前に、戦闘機によってズタボロにされます。戦争のやり方が根本的に変っていたのです。

 ただ、彼にも失敗があります。

 一つは満州建国へのプロセスが強引だったということです。いやな先例を作ってしまいました。

 また己や日本の力量を見誤っていたとも思います。

 独立国である満州国を軸に、アメリカとソ連の両方を向こうに回して闘おうという策はちょっと無理があります。

 諸葛亮孔明ではありませんが、本来は呉と組んで魏と闘うような戦略がよかったのです。

 陸軍は中国ソ連との闘いを想定し、海軍は米国と闘いたいでしょうから、まとまらなかったかもしれませんが。というより、陸海軍がまとまらない以上、戦争に勝てるわけがないのです。

   才覚があるだけあって、ちょっと鼻に掛けるところがあるのかもしれませんね。(怒られそうです)もちろん、日米対決は満州国をきちんと強国にしてからの話ですから驕ってはいなかったとも言えますが。その途中で無理であると気づいたかもしれません。

 しかし、石原失脚の後、他の軍人が大局に立たず、明らかに目の前の中国を相手に戦争をしていったのに対して、石原は大局を見ていたという点は評価されるべきだと思います。

 他の軍人も石原と同じ、経歴はエリートです。ですが、石原のように大局を見る力は一生つかないかもしれません。こういうのはなかなかつかないものなのです。  私としては、最終的に満州が日本の生命線になっていった経緯を知りたくてこの本を買ったのですが、その点は何も書かれていませんでした。  日露戦争当時は朝鮮半島が生命線でした。確かにロシアがあの辺りの不凍港を得るとやっかいです。現に領土としてどこかの島を割譲しろという恫喝があったような気がします。そうやって少しずつ浸食されるのは目に見えます。

 ただ、それが満州にまで拡大されたのはなぜだったのか。

 今後はそれを調べてみます。  

 

石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人 (双葉新書)

石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人 (双葉新書)

 

 

 

 

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