今日の十分日記

今日の十分日記

原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

冷和(誤字にあらず)ーー十分日記240

スポンサーリンク

今週のお題「平成を振り返る」

書いていないと思うが、先日令和が新元号になると発表されたとき、我が家の夫婦でとあることを雑談した。それはそれぞれの元号のイメージについて、である。

もちろん、大正や明治は自分たちは経験していないのでイメージできない。昭和、平成のイメージだ。

私にとって、昭和は戦争と発展の時代だったが、総じて「胡散臭い」というイメージがある。胡散臭い人間が出てきて、奇術のような方法で活躍した。そういう感じがするのである。田中角栄もそう、森繁久彌もそう、よくよく考えれば、石原慎太郎と裕次郎の兄弟だってあまり血筋に関してはよいとはいえない感じがする。戦前の石原莞爾とて、家柄をいえばそんなに高い家柄でもないのだろう。逆に、どんな出自であっても能力次第で活躍できる社会であったのかもしれない。

平成に関してはパッとイメージが出てこなかったので、「ねえ、平成ってどんなイメージ」とカミさんに聞いた。

「軽薄かな」

言い得ているように思う。続けて、上記のような人物を挙げて、昭和をイメージする人間を挙げた。平成ではどんな人物が象徴しているか、と問うた。

「舛添要一と、田嶋洋子」

これも言い得ている気がする。私が考えたのはやはり小室哲哉、麻原彰晃などであった。小室はいうまでもなく、麻原彰晃も重厚感がある人物ではない。やったことは重罪であるが。

舛添も田嶋も結論を言えば、何がしたいのかさっぱりわからず、お調子者で目立ちたがりな部分が共通している。個人的には田嶋洋子が日本のフェミニズムのイメージを後退させ、女性解放を遅らせているようにも思えてならない。なんでだ、と怒られても、だってそうでしょとしか言えないが。

結局共働きも、「男性の所得が大きく後退するので仕方なく」という必要に応じて、女性が仕事を辞めないという方向で増加してきた。

舛添要一も東大出身だったり、官僚だったり、ということが大したことではないというのを立証したような人、というイメージが私にある。

 

なんにせよ、平成という時代を一言で表せば、「軽薄」なのだろう。

 

headlines.yahoo.co.jp

ひどいはなしである。

NEC、富士通、エーザイ、協和発酵キリン、カシオ、富士通、コカ・コーラ。

名だたる企業がならんだ。

以前同じように大企業が中高年をターゲットにした首切りを励行しているというツイートがあったが、どこかに行ってしまった。

今って、好景気なんですよね。

人手不足なんですよね。

と聞きたくなる。首にしておいて、奴隷として再生産か。「人生再設計第一世代」ってそういうことなんだね。第二世代が続くよ。

 

とりあえず、令和の始まりは、「冷和」と言いたくなるような、冷たい時代になるのだろう。日本の企業自体を労働者が見限るべきタイミングがやってきたのかもしれない。正社員であるということが強みである時代が、三十年近く続いてきた。時代が変わるときには強みが弱みに代わり、弱みが強みに代わる。こういう視点で自分の立ち位置をチェックしてみたらいかがだろうか。俺もな。