池波正太郎をめざして

明日は明日の風が吹く

今の心境にあわせてブログ名を変更しました。どうぞよろしく。肩の力をさらに抜いてやります。

情熱大陸 坪田信貴氏 現在の教育の現状を反映。結構合理的かもしれない。1

 まさりんです。 

   この記事を書くのに、どれだけの失敗をしたか。

 

情けない話だが、どうも私のアンドロイドスマホと、マイクロソフト社製品は相性が悪いらしい。OneNoteとウィンドウズPCの連携が上手くいかず、外付けのキーボードで文字を打っても、フォントの種類はバラバラになるし、行間もくちゃくちゃになっちゃう。しかも、ファイルが謎の消失。使いこなせないだけであるが。
 
 さて本題。
 二週間ほど前、情熱大陸で坪田信貴氏について取り扱っていた。「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」という本を見たことがあるという方も多いと思う。
 
 私個人は高校生のときには、学校からより、塾の講師から多くを教授された気がする。特に高校の教師はどこを割いても人間的な魅力や特定の才覚にとぼしい人間が多かった。尊敬できる教師など絶無であった。通っていた河合塾の講師の方が学ぶところが多かったように思う。
もちろん、十代半ばの話であり、少ないながら私も成熟をしていたのであろうから、いわゆる凡庸な教師から得るものがないように感じていただけかもしれない。その割りに子どもだったろうしね。要は刺激がなかっただけかもね。恩師をくさしても自らの狭量を示すだけだからこの辺で止す。ただ、担任などはいじめを見抜けず、カーストを強化する方向に動いていた、とだけ付記する。
 
 予備校の講師というのは完全な勝負師である。特に河合塾は他の予備校などにいわせても過当競争が繰り返されているところらしい。そう聞いたことがある。学習塾の講師たちは生き残るための勝負を常に強いられる。安穏と暮らす公務員教師とは・・・・・・(あまりにも粘っこい)。
 
 勝負に勝つには分析が要る。分析による戦略が要る。勝負後には勝負にかかわらず修正が必要だ。この一連の作業により、多くの言葉が生み出される。坪田氏の場合も同様である。現状に対応し、生き残るために工夫したという痕跡が見受けられるのである。
 
 その塾は「青藍義塾」といい、名古屋にある。完全な個別指導のスタイルをとる。生徒は全員が優秀どころか、15%が学年ビリを経験したことがある。そこから難関大学合格を目指すのである。
 
 
1,坪田氏について
 
 主催している坪田信貴氏はあまり経歴を公開していない。それで偏見が加わるから、というのが理由だ。通常の教育現場では逆だ。特に教師自身が高学歴であり、生徒があまり優秀でない場合、はったりとして自身の学歴を披瀝する場合が多い。そうすることで妙な説得力が出てしまうことがある。だから学歴というのは公表する。
 ただ、相手が勉強をしたがっていない場合は逆効果になる場合がある。勉強が苦手な中高生は常に逃避しようとする。逃避するには理由が必要だ。理由は外部、つまり親に対しての方便と、自分自身に対する自己擁護になっていなければならない。教師が高学歴を披瀝していると「だって先生は元々頭がいいから。私は頭が悪いから勉強してもムダ」という言い訳を自分のなかに作ることが可能になる。必死に言い訳の砦に籠城し、墨守しようと試みる。こうなってしまえば、何を言っても徒労に終わる。坪田氏はそういう目に遭ったのかもしれない。
 
  番組では坪田氏の飾らない人柄などを紹介していたが、これはどうでもいい。IT経営者が幅を利かすようになってから、どうもビル・ゲイツ的な「飯はいっつもジャンクフード」、「高い服は着ない」などの設定をとりたがる人間が多くなった。「ああそういうのがまだ流行ってんだな」程度の関心以外は持つ必要はない。
 だが、「野菜の名前が覚えられない」というのは興味深かった。何か欠落していないと、現状に満足してしまって、努力ができない。特に中年期以降はそうである。
 
  坪田氏の本を読んでみようと思って、図書館の検索をかけた。全部貸し出し中であった。本屋をのぞくと平積みの本が追加されていた。確か、一年以上前に出た本である。やはりテレビの影響というのは大きい。
 
 
 
2,指導の下準備(意識を変える、学習習慣をつける)
 
 具体的な指導にも現状に対応しようとした痕跡があるように思う。
 
 番組中一人の中学生を取り上げていた。
 彼はゴルフをやっている中学生で、勉強はおろそかになっていた。特に英語が苦手であった。
 まず坪田氏がやったのは、学力把握のためのテストである。結果は中三なのだが、中一・中二の範囲も含めて悪い結果だった。おそらくテスト結果が悪くなるというのは予想していただろう。そして坪田氏は「これは苦手とかというよりも学習量が圧倒的に足りない」という示唆をする。
 
 勉強が出来ない中高生にはこれがまず大事だ。「自分は勉強が出来ない」ということを自己暗示に掛けていることが多く、そのせいで学習が億劫になり不出来につながっていることがある。これを回避するためにイメージを変えるという作業をやっていると感じた。
 
 そして、「具体的に目標を提示」していた。これも大切で、勉強が出来ない人間には、好成績を修めたことがないのだから、目標設定が間違っていることが多い。自分が楽勝でできる量に設定してしまうのだ。ここでは英単語と文法を、十日間で問題集合計九冊をこなすことをノルマとした。目標は一二年の単語文法のテストで七割をとることだ。
 
(「勉強ができない、勉強ができない」って言い過ぎてすいません)
 
 しかも十日間任せっぱなしではなく、毎日のように復習を一緒におこなう。ここでも学習方法をすりこんでいくという作業をしていた。そして宿題として指示したことをこなしてくれた場合、「ありがとう」などの言葉をかけていた。
 
 結果、一二年生の単語文法七割の目標を突破する。単語や文法に解き方やコツなどほとんどない。要するに実践あるのみである。実践をすることで記憶する作業を身体が覚えていくのである。が、苦手な教科の記憶作業は学習者が非常に倦厭する作業である。これを一緒にやることで突破していた。意外と学校ではこれをやらなかったりする。十年くらい前だろうか。予備校の講座に「英単語を覚えるための講座」というのが出現した。度肝を抜かれたが、それ以来、そこまで手伝うという塾の方針が後退したことがない。
 
 しかし、塾によってはムラがあって、坪田氏のように徹底的な個別指導で復習まで面倒を見ることはあまりないのかもしれない。
 教育界隈には便利な言葉、思考法がある。それは「今年の生徒は不作だ」という思考法だ。一つは、生徒というのは半永久的に供給され続けるものであり、今年がだめでも翌年は豊作かもしれないという感覚だ。二つ目はそこから派生して、「だからコイツが成績が悪いのは、生徒自身のせいだ」という思考法だ。塾は真っ先に現状に対応した。塾は生徒の獲得合戦をが宿命だからだ。代ゼミはこのあたりの読みが甘くて衰退した。
 勉強が出来ないというのは、勉強方法を知らないということに等しい。それを一緒になってやると言うのは実に合理的だ。すべての教科は実技教科である。お手本を示すのが、一番手っ取り早い。それを実践していたのは素晴らしい。
 
 あとは明日へゆずる。

 

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