まさりんです。
もう随分前になってしまいましたが、第二十五回短編小説の集いの感想を書きます。このところサボっていたので、久しぶりです。
それにしても、今回の皆さんの作品は、ずいぶんレベルが上がっていると思いました。自分も頑張らないといけないですね。
タイトルからは内容が全く想像できない感じがいいですね。
そして、私は油断していたのですが、私のように油断して読んでいると、嶋田パートから元の設定に戻るときにハッとさせられます。そうか、元の設定はそうなのか、と。
男の場合、「女性の豊満な乳房が特効薬」だというジョークめいた真実ありますが、女性の場合、「偶然とときめき」が特効薬かもしれませんね。ラブストーリーは突然始まるものですから。このあたりから想像していったのかもしれませんねそう考えると、女性の方が手間がかかるんですかね。それとも妄想で事足りるのでしょうか。ガッキーと星野源のドラマで十分なんですかね。専門家の意見を待ちましょう。
恋愛情景はベタな感じでも、前後の設定が効いている、秀逸な構成がいいと思います。
ドーパミンとセロトニンの欠乏って、本当に恐ろしい。
ただHIVのように、遺伝子を操作するウィルスもあるくらいですから、もしかすると今後人類の進化の形は意外とこれかもしれないな、と読んでいて思いました。
長い長いお話の序章のようで、ワクワクしました。
またあまりにもわかりやすい首相の権力の私物化にもはや笑うしかなかったです。しかも振られてるし。
設定の濃密さがとても際立つ作品だと思いました。
ちょっと考えればわかるところを心底勘違いしているところが可愛らしい。そんなにうつる心臓病なら、クラスも家族も大変ですね。
みなさんは頭の中でどんな主人公を描いたのでしょう。そんな空想をするのが楽しい作品です。
相手が天然なんだから、咲は七海にもっと丁寧に説明しないと、入院するほどの心臓病だと信じているのだから、本当に殴りに行ってしまうなと思いました。
何度も読んでしまいました。トリック解決のために。
吊り橋症候群を利用した、巧妙な月子の戦略だということはわかったんですが。すっとLINEを聡史に送っているあたりがあやしい。予定通りという感じがして。普通、男に相談しろとは言わないしね。
ただそれを発動したのがいつなのかがわかりませんでした。パニック症候群だということで、もうこういう症状が出れば、いつ聡史と会っても恋と錯覚する…、ちょっときついか。
名前に注意して見ていくとははん、そういうことか。
それにしても月子、こえぇ。
おなじみ、みどりのおのさんです。
小学生高学年くらいの先生の一言って、けっこう覚えてますよね。私の小学校では運動会のときに、鼓笛隊といって、グラウンドを更新しながら、聖者の行進やなぜか会津磐梯山(千葉の学校です)を演奏しました。私は引っ込み思案、内弁慶の典型なので、リコーダー担当でした。リコーダーは足軽、ザク、スライムくらいのランクです。その練習のとき、隣のクラスの担任(ザビエルと呼ばれてた)が、「いいか、お前らは縁の下の力持ちだ」と言いました。それから今まで、自分は縁の下の力持ちらしく振舞って生きてきました。その言葉が自分を規定してしまったんですね。
だから漱也みたいなことって、実感として理解できます。そして、高校生らしく友人がそれを解決するのもいいですね。芸人になったらこういうタイプは弾けますよ。それこそ太田みたいに。
息子さんの一件も読みました。
その小学校の先生は基本がなってないですね。みんな外野をやりたがらないのであれば、逆に全員に回すもんですけどね。公平にね。ただ、息子さんのような経験もするのもいいことですよ。きっと、同じように不遇な目に遭っている人を見逃さない、優しい男に育つと思います。ずっとそうだと卑屈になりますけど。しかし、ご兄弟の性格は、「男兄弟あるある」なんですかね。うちもそうでした。私は冷血な男になりましたが。
文章がとてもスッキリしていて、内容とあっていて素敵な作品に仕上がっていると思いました。
お話、面白いです。描写も丁寧です。情報量の不足もないです。
ただ、確かにエピローグがあるとすっきりしますよね。ないとすれば、ルナが月から来たと思わせる伏線をそこここに散らすしかないですね。うわ言とか。迎えに来た男に移動中話させるとか。ルナの首にかかったタグが読めてしまうとか。それぞれ、エンディングは変えないといけないと思いますが。ただ後から知るほうがいいです。
分量の調整ですが、やり方は二つ。全体的に少しずつサイズダウンをはかるのと、段落ごとぐっさり削るのと、です。ぐさっと削るときは、一番主要な場面を決めて、それ以外を削ります。今回は四つあります。
導入、振り返り、移動、エンディング。ちょっと、ぐさっと削るのは無理でしょう。言葉をかえたり、重複する言葉を削ったりして、全体的にボリュームダウンするしかないですね。ただ削るとテイストが変わるんですよね。わざと紙にプリントアウトしてそれを見ながら書き直すのも手です。
私もやりすぎてしまうことが多々あります。私の場合、展開を二つか、多くて三つに絞って、その代わり丁寧に描写をするようにしています。五千字だとそれくらいでもオーバーしかねないです。展開が多い場合、ハナから描写などをあっさりさせます。描写じゃなくて、説明しちゃうと分量が少なくなります。そうするとなんとかなるかな。愚見ですが。
書き直すという作業は文章力向上につながるらしいです。一流の作家は直しがうまいとも聞きますよ。といっても、時間がないとね。
冒頭からの描写で、説明なしに描写で状況を読者に知らせるところ、また加奈子の設定を引っ張るところが、変な書き方ですが、手練れだと思いました。読んでいて、ニヤッとしてしまいました。内容にではなく文章がうまくてですよ。きっとたくさん本を読んでこられたのでしょう。小説をよく知っておられる。
さてその内容ですが、犯罪もさることながら、その行為を忘れてしまうというのが業が深い。このあとどうなってしまうのかと、想像する独特な余韻があります。加奈子に反論することは簡単です。しかし、それを加奈子が受け入れるかどうかは別問題です。それに忘れてしまいそう。案じるお母さんに対してもきっと世間の風当たりは強いでしょう。「親の育てかたが悪い」ってやつ。でも、確実に犯罪者にする育て方なんて、誰も知らないし、知ってても誰もやらない。そんなことを思い、ちょっと途方に暮れました。
絶望的な小説を書きたいと思うのは、書き手が絶望的な気分だからか、幸福の反動か、そんなつまらないことを考えてしまいました。
純文学的なテイストの文章です。個人的には好きであう。 日常の一コマが丹念に描かれていて、過剰な演出もなく、すっきりしています。日常の一コマ削っているという感じは割合好きです。
分量がもう少しあると、遊べる設定ですよね。劇中小説をもう少し小説家か、息子とシンクロした設定にしたりして。どうしてこの小説家は小説家を書くんだろうということに興味を持ちました。そういうところを膨らませるか。いや、小説を書く理由は蛇足だな。
喘息の調子が悪くなる時期に、筆が進むというのが、作家の業ですよね。
読み始めたとき、この主人公は何かの隠喩であるような気がしました。ネットでだだをこねている連中、そんな連中と重なる部分があったからです。
自分の空腹や満ち足りない気分まで、他人のせいにされるのはたまりません。なんでも大人から与えられる幼児なら通用しますが、中学生だもんね。小学生高学年にもなれば、自分の興味のあるものもはっきりわかってて、それに夢中に・・・・・・。今の若者に関しては自信が無いけれども。いや、同じだよ。きっと、テレビがつまらなければ、マンガ読むし、音楽聴くし、ゲームやるよね。それだけ主体性のない中学生になってしまったのでしょう。
一見真相が開示されることで事態が収まっているように見えて、結局開示される前より複雑になっていくことも予想できます。主人公を庇護しているように見えた祖母が物理的に亡くなり、精神的な支柱という虚偽も霧消してしまった。読後感と対照的に、悲惨な現実が想像でき、背筋に冷たいものが走ります。
ネットでだだをこね、「互助会ブログがつまらない」とか、主義主張が違うからと言って、他者を批判というか、やっぱりだだをこねている連中にもいえることです。一方的に他者に面白いものを持ってこいというのが許されるのは幼児までです。本当に面白いものがほしければ、自分で作らないと。最終的には。大人になると、受け身だけでは面白くなくなるのだと思います。小説を面白いと思うには、自分でも書いてみるといいですよね。色々わかって面白くなるものです。
最後のhagex脳って、何? なんか、はてなブログに数年間いるけど、言論の中枢にいる連中のブログって、以外と読んでない自分に驚く。xervraなんて、つい最近まで読めなかったし。「えくさーぶら」って読んでました。