端的に言ってしまえば、知り合いの話が元になっている。その知り合いの身内の人間が、株式のデイトレーダーになって生きていきたいといっているのだそうだ。
個人的には、「やりたいと思うのが才能の第ゼロ段階」だと思っている。
才能がある人間はそれをやりたい、もしくはやらなければならない。表現はなんでもいいが、参加する流れになっているものだ。
ただ、どうなんだろう、その生き方は、と一瞬戸惑う。
与沢氏ではないが、事業の資金などを稼ぐために、一時的にマーケットを利用するというのはよいと思う。日本は事業をしたいと思っても、なかなかエンジェル的な投資家が見つからないので、さまざまなものを利用して資金を獲得するのは悪いことじゃない。
その知り合いの身内の人間は、デイトレーダーになって、その後は考えていないようだ。
本当の意味での? 投資家になるという手もある。
デイトレーダーと投資家の違いは、個人的には「企業を育成するかどうか」だと考えている。長期的に株式を保有することで、その企業を応援し、成長すれば、利益を得る。それは社会的に意義があることだ。
もちろんデイトレーダーだって、流動性を担保しているという意味では意味がある。だが、やっていることはただの博奕だ。投資家だって、博奕だけど。
貨幣でたとえるとわかりやすい。
円を売ってドルを買うとしよう。
それにはドルを売って円を買いたい、という逆の取引を望む人がいないと成立しない。いつも市場で取引が行われていれば、交換がスムーズになる。これを「流動性を担保する」という。
株も同じで、買いたい人がいるということは、逆に売りたい人がいなければならない。それを常時可能にしているのが、取引をしている人なのである。
本などを読めば、「博奕でなくす方法」的な文言が並ぶ。
だが、どこまで行っても、投機は投機だ。
特に性質上、デイトレーダーはそのうち、いやになるのではないかと思う。
自分が儲けた、と謳って、セミナーをやる人間はごまんといる。実はそういうセミナーに参加したのが知人の身内(面倒だから以下A)がデイトレをしたくなったきっかけらしい。が、どうして儲けられるのなら、そのセミナーをやる必要があるのか。儲けのカラクリをどうして人に教えてしまうのか。
そう。つらくなるのではないか。
それが発想の始まりだった。
Aのような人物がいやになる瞬間とはどういうときなのか。
そして、一つの情景が頭に浮かんだ。
太った男が、目の前の中学生の頭を張っている情景だ。
二人は白いデッキチェアに座っている。そこは中学生の家の屋上だ。
ではどういうタイミングでつらくなるのか。
たぶん、一番は儲けられなくなるときだろう。
リーマンショックなどで、大損をしたら止めようと思うだろう。
もう一つは、人生について真摯に考えてしまったとき。
そう考えると情景と合致する。
そのためにはこの太った男の人間性の肉付けをしなければならない。
ある程度生き残ったデイトレーダーにしなければならない。
やり始めて三日で廃業したデイトレーダーだったら、なんでもいい。
勝ち続けるトレーダーとはどういうものか。
それを探るために本を読んだ。
「元コンビニ店員~」の方が人物像としては参考になった。
太った男真崎の人物像は次のようにした。
・ほどよくバカ。
・信じやすい。
・お調子者、おっちょこちょい。
・大胆。
・運が良い。
始め、警戒心が強い人物が生き残るのかと思っていた。
以前何かで見たデイトレで成功した人物というのが、高級マンションの一室でラーメンを啜るというもので、そのときに写っていた人物がおよそ陽気だと思えなかったのだ。そのイメージが強かった。
だが、下のリンクで紹介している本では逆だった。
平気でリスクを取れる人物というのは、上記のような人物だろう。
だって、あなたがFXで負け続けたとき、いくら説得力のある講習を受けたからって、警戒してしまってその手法をとれないだろう。それをその講習参加者のなかで、講習で紹介された方法を、ほぼ唯一やって成功してしまうのである。浮かぶ人物はそうだろう。他のセミナー参加者に、「どうやったら勝てるのか」と相談されてしまうくらいだ。普通は警戒してやりきれないものだ。
成功するにはある程度あほでなければならないのだろう。
自分と正反対でいやになる。
masarin-m-dokusho.hatenablog.com
それにくわえて、今回は展開に凝ることにした。
それはこの本を参考にした。
masarin-m-dokusho.hatenablog.com
もういいかげん、掌編ではなく、長編小説にも挑戦したいと思うし、展開で煮詰りを感じていたので読んだ。もっとも、その前から読んでみたい本ではあった。読み物として面白いのはさすがだね。
ちなみに、大沢在昌大先生の本は読んだことがない。失礼だね。
ひっくり返すということを意識した。