久しぶりに目次なんぞ作ってみる。スターウォーズはいついくのか。二回は行きたいな。
あらすじ
男はやり手の弁護士である。
多少強引な手を使ってでも訴訟に勝利し、社会的には成功者として生活している。
髪もオールバックで決め、右手には常に火の付いたタバコが握られている。一人娘の説教も、忙しい親がやりそうな、形式的で事務的な叱り方をする。
妻も同じで、パーティーには高そうなコートを着て出かけ、帰ってくるとどこかで買ってきたお菓子を立ったままほおばる。
そんな生活が一変する出来事が起こる。
タバコを買いに行った雑貨屋で、拳銃を持った強盗にあい、鎖骨のあたりと右目の上を打たれる。右目の上を撃った玉は拳銃の口径が小さかったらしく、勢いなく前頭葉で止まった。ところが鎖骨を打った球は、心肺停止を引き起こし、回復するまでの時間、脳は酸素の供給が停止する。その影響で、医師からは長いリハビリが必要だと告げられる。いやリハビリをしても回復が見込めないと言われる。
妻は転院を決めた。
転院先の病院で男はみるみる回復していく。最終的に足を少々引きずる程度の後遺症はあるが、ほぼ日常生活には影響のない程度まで回復する。
ただし、打たれる前までの記憶はほとんど消失し、まるで別人のような人格になってしまった。
別人になった男はまるで子供に戻ったようであった。
子供に戻った男は人生を追体験していく。
嫌われている男
主人公のヘンリーはとにかく周囲に嫌われていた。娘にすら嫌われていた。
追体験していったヘンリーはとてもいい奴である。というよりまっとうな奴である。
成功する奴というのは鼻持ちならない奴と言うイメージがある。成功した人間が周囲にいないので具体的にイメージはできない。ただ組織で出世していくタイプは、あまりいいやつだとは言えない。しかし、世の中ではそれが正解だ。
ブロガーでも売れて調子にのる人間もいる。かわいいものなので微笑ましくみているが、ムカついている奴もいるだろうね。YouTuberでも、ちょっと目立つとすぐに批判的なこという奴が出てくるからね。
弁護士事務所のトップが人情家で役に立たないヘンリーずっと雇い続ける。逆にそれが原因で、打たれろ前の自分がいかに嫌なやつだったかを思い知る。
ついでに完全に関係性を取り戻した妻が、打たれる前に自分の友人でもあり、仕事上のパートナーでもあるブルースと不貞行為をしていたことを知る。
しかし同時に自分も同僚と愛人関係を続けていたことを知る。
見ていて、その後の人生を知りたくなった。
お互い過去の自分と決別して、弁護士も嫁家族3人でたて直そうと決め、物語終わる。
見ていて、弁護士もやめてしまったヘンリーはこの後どのようにしていけるのだろうと考えていた。
パターンとしては人のために生きるようになるのであるが。娘に忘れてしまった字の読み方を教わったあと、過去の自分の判例が読めるくらいまで急速に字が読めるようになる。元々学習能力は高いのだろう。
その能力を活かして何かをするのだろうとも考えた。また何かの高度な仕事をするのだろうか。政治家になったりして。
この物語のパターン
見終わって思ったのは、昔「三人のゴースト」という映画があった。ビル・マーレーが主人公で、テレビ局の社長だ。かなりの豪腕、ということはこのお話と同じで性格の悪い主人公だ。
このテレビ局ではクリスマスにディケンズの「クリスマス・キャロル」をやることが決まっている。その準備をする間に、主人公は自分の過去・現在・未来を見せられる。そして、自分の人生を悔いる。
このお話自体が「クリスマス・キャロル」そのものの筋立てだ。
それにしても、欧米ではこういう話が定期的に出てくる。
逆のパターンもある。
「グッド・ウィルハンティング」がそうだ。
天才的に数学ができるのであるが、幼少期のトラウマから才能が発揮できず、陳腐な環境にいることに甘んじている青年(マット・デイモン)が、同じように過去に苦しむ心理学者と出会い、お互いの傷を癒やしていく、という物語だ。
宗教と私たち
当然だが、宗教には落ちていくものを救うという機能がある。
小説で「ラザロ」という聖人を扱った。彼の物語が実にそういう働きを持ったものであったが、金持ちの傲慢を許さない、というお話と、同時に現世で苦労している人間は神によって救われるものだ、というお話がセットになっている。
「心の旅」や「グッド・ウィルハンティング」を見ていると、なぜだが「人生失敗しても大丈夫だよ」と言われている気がしてしまうのである。その感覚の裏には宗教の影響がある。
と書くと日本人は忌避してしまうのだが、本来は宗教のこういう側面を持たずに生きている人々というのは珍しい。
だから、外国の若者を連れてきて、奴隷のようにこき使ったり、社員を過労死するまではたらかせることができるのだろう。
ところで、ふのいさんのブログで「宗教のない個人主義」という言葉が登場したが、常々考えていることを射貫かれた気がして鳥肌が立った。