今日の十分日記

今日の十分日記

原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

もっと日記を書こう――十分日記

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えこさんのブログをまとめ読みしていたら、そんな文言が眼に入った。

「本当だな」と思った。

 

仕事とは言えない、お手伝い程度のタスクで(かっこつけた)、多くの書物を渉猟し、「共生社会」について考え続けた。

近代の後にくる、ポストモダンは共生社会だ、云々の話はここでは置く。

 

多くの書物は紙束になり、狭い部屋をさらに狭くする。

一念発起して、久しぶりに自炊の旅を敢行した。

 

幸い、昔使っていたスキャナーがまだ使える様なので、セットアップした。製本された状態から、紙束に断裁して、スキャナにセットする。スキャナはどんどん紙束を食べて、PDFに変えていく。排泄物となった紙束は紐で束ねて、ゴミ捨て場に運んでいく。

この一連の作業を三月半ばから繰り返している。

スキャナは紙の重なりを、超音波を使って感知する。その精度は高いのであるが、本によって何度も重なりが感知される。紙質には拠らないらしい。上級の紙でも詰まるし、わら半紙の様な紙でも通過する。

 

昔から思っているのだが、この超音波のせいだと思うのだが、やたら肩が凝る。だから長時間は使えない。

 

別に思い出でもないので、それらの本に対する思い入れはない。ただ手に入れるのに、東京駅の丸善まで行って、立ち読みしなければならなかったのは大変だった。使えるかどうかを吟味しないと、おいそれと買えなかった。

 

人の心はなんともいたしがたく、共同作業者の心変わりで、吟味したはずの本も、半分は使えなくなった。聞いたときは、溜め息一つで許した。大人になったのか、体力が尽きたのか、瞑想が利いているのか。

恨みを込めて、カッターの刃をそんな本に滑らせる。

そんなときの本はなんとも詰まる。

たぶん、そう感じるだけで、気のせいだ。

 

家人が強行して髪を切りに行くと言っている。

不要不急ではない。さる催し物のために行かねばならぬ。

家人は身の回りを整えることに極端に興味を持たず、下手だ。

朝髪を洗って、ドライヤーをかけて、わけの分からない髪型で職場に行くこともしょっちゅうだし、そのまま夕方帰ってくる。絶句することもある。

だから、定期的にその世話をしてくれるところへ行かないと、酷いことになってしまうので行かねばならぬのである。

 

ただ、ちょっと心配だ。

こんなご時世だからね。