今日も落ち込みが始まりそうなので、文章を書き始めよう。
おとといに書いた手術の話、どうも気分が乗ってしまっている。
だから、ぼちぼちとエッセイ風の文章を書き始めた。
まだ五、六枚に満たない。
いずれ、カクヨムか、他に出すと思う。
しかし、なかなかテイストの合う小説投稿サイトが見つからない。
どうも、浮いている気がしてならない。
手術の後で、調子を崩したことは書いた。周囲にやはりこのコロナ禍の最中に、やむを得ず大きな手術を受けた人がいる。私とは比べものにならないくらい大きな手術だ。手術内容が本題ではないので割愛するが、手術後にやはり体調というより、体質が変化してしまったらしい。妙に高血圧なのだそうだ。
今は、社会全体がコロナ禍に陥っていることは昨日書いた。
この影響も今後出てくるだろう。
緊急事態宣言でも、蔓延防止策でも、若者は街に出るものは出た。
全員ではない。感染者数は一時期は落ち着いた。今回のコロナ禍、不思議な数字というのはないと私は考えている。そう考えないと、メディアなどが、「街に人が出ています。街に人がたくさんいます」と一生懸命その「街の人」になって取材した話と整合性がつかない。本当に街に人がたくさん出ているのなら、感染者数は落ち着かない。実際はそれほどでもないのかもしれない。比べるべきは、2020年3月以前の「街」であり、前回の緊急事態宣言時と比べても意味がない。
だから、少なくとも2021年春の緊急事態宣言中も、大半の市民は自粛生活をしていたのだと思う。そして、街に遊びに出た人は一部であると。
逆にワクチンが出回るまで欧州のコロナ感染者数と死亡者数が落ち着かなかったのは、「ロックダウンしていても、どこかに集まって皆が会っていた」からだろう。不思議なことはないものだ。
閑話休題。その一部の「街に遊びに出た人」を「自粛警察」よろしく避難しようとは思わない。こういうお願いベースの取り組みは、イレギュラーがある程度発生するということを織り込んで考えなければならないからだ。
それに、(元の話に戻る)今がコロナ禍だということを考えると、独特の現象が発生している気がしてならない。
それは「退院後の躁状態」だ。
経験があるし、他人のことでも見聞きしたことがある。
特に長期入院をしていると、退院直前や退院直後にめちゃくちゃテンションが上がってしまって、「なんでもできそうな気がする」期間がやってくるのである。
勝手な妄想で、若者はその時期に入っているのではないかと考える。
経験からいえば、この衝動を押しとどめることはできないだろう。
長期入院のあとは、はっきりいって何もできない。
病院から家に帰るだけで疲労困憊。
日常生活に戻すだけで一苦労である。
だが、現在のコロナ禍の若者の場合、身体は元気なのである。
遊びに行こうとすればできてしまう。
抑えられない衝動と元気な身体。
そりゃ遊びに行くだろうな、と思うのである。