今日の十分日記

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原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

はてなブログ10周年おめでとうございます。ーー十分日記

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はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

 

はてなブログが10周年を迎えたそうだ。かくいう私は、2014年からブログを始めたはずなので、今年で7年目になる。かといって感慨はない。

ネットの論客も更新されて、また面白い人たちが出てきた。紹介したいところだが、網羅して、知っているわけではない。

しっきーはどこにいったのか。

これからも、新たな論客があらわれるだろう。もうわかっていると思うが、はてなはブックマーク偏重のシステムで、「10周年おめでとう」とかいいながら、ユーザーへの支援はなかったりする。その点を含み置いて……いるね。

 

さて、きっと私よりもずっと先輩であるはずのしろくま先輩の記事にたまには言及しようと思う。展開もなく思いついたまま書くのであしからず。

p-shirokuma.hatenadiary.com

ta-nishi.hatenablog.com

 

この二つの記事がセットで語られている訳である。

えらいなあ、と思うのが、タイトルを見ただけで記事の内容がわかるよね。そこは素晴らしいと思う。そして、読んでみると、タイトル通りに裏切らないです。そこも素晴らしい。ディスってないです。

 

この著者二人と、かくいう私も同世代だろう。四〇代だと思う。そして、感覚が似ている。結局は「世界の持続性について考えるのが難しい」と両者が思っている所も共通している。私もそう思う。

これには世界のあり方が「間違っている」という前提がなければならない。宗教的にでも、哲学的にでも、倫理的にも、なんでもいい。反対側に「正解」があって、その反対にある「間違っている」状態に今ある、という感覚が必要である。

若い人が、環境問題について声を上げているのは、半分若さ故のホルモンバランスの悪さが一因だということをさっ引いても、どうして今の世界のあり方が間違っている、と言い切れてしまうのかがわからない。

やっぱりヨーロッパの科学者はみな優秀で、正しさを提示できているのだろうか。

コロナ騒動でもわかるように、とりあえず目の前に見えていた日本の科学者たち、専門家の人たちが、コロナウイルスの動向をはっきりと捉え切れていたとは思えない。議論百出だったからだ。百家争鳴の最たる状態で、結局それを見切ってしまった人々は誰の言うことも聞かなくなってしまった。

 

言っておくが、「世界は間違った方向に進んでいる」ように見えるのは、おそらく古代から同じだろう。古代から強烈な宗教などがあって、「正解」の世界が提示されているから、簡単に「間違った」世界だと言い切れてしまうんだよ。

本当に間違っているかどうかは、将来になってみなければ分からないよね、というのが正確なところなのかもしれない。今の気候変動も、地球規模の正常で大きな変動のなかの一部なのであるか、それとも「間違った」近代以降の異常変動なのかも分からない。正確にはね。

 

自分たち世代の将来を潰してまでも化石燃料を使わないようにせよというのはあっぱれだけどね。要するに様々な知識がなく一方向から世界を見るから、「間違った」世界のように見えているんだと思うけどね。

 

大人になるってのは、親になることではなく、世界が複雑だと理解できることだと思うから。

 

たにしさん(下の記事)は自分の生き方を刹那的だと思っている。七月にコロナに罹ったそうだが、それで死んでもいいや、と思ったそうだ。それくらい刹那的な理由は「親じゃないからだ」と考えているそうだ。

しかし、どうもたにしさんの性格自体がそういう感じなのではないか、と感じてしまうのである。病気になり、死を覚悟すると当然、「生きたい」と願うのが生き物の性である。それが(本当ならという条件付きだが)ないのであれば、それはたにしさん自身の性格で、子どもがいてもそう思っていたかもしれないね。

別に刹那的なのが悪いとは思っていないです。他人からすれば刹那的に見えるような行動が多くのことを切り開くということもあるからね。私は元々ロック好きだし、刹那的なのもいいと思います。

 

サステナビリティに関して、それに自覚的になるにはどうすればいいのか、を考えてみる。とりあえず、たにしさんの話のところで書いたけど、みなもだえ死ぬのはいやだと思うでしょう。それが自分の目の届く範囲の次世代がそうなるのも嫌でしょう。

サステナビリティというと、実は数百年、千年という単位の話だ。

そんな先のこと、想像なんてできないのは当たり前です。十年先も無理。人間だからね。

 

今という時代はしかつめらしい顔をして、「環境問題がぁ」とか「ジェンダー的にはぁ」とか語り合う時代かといえばそうでもない。それは衆議院選で出てしまったよね。やっぱり多くの人は現状維持が良いんだよ。ていうか、みんな疲れ切っているこの局面で、「戦え」とか「変えよう」というのはまったく日本人的ではないよね。立民が負けた原因はこの一事だと思う。「支えるからゆっくり休んで」というのが一番のメッセージでしょ。本来ならね。

 

まずゆっくりして、それからでもよくない。とりあえず、2030年まであるんでしょ。・・・・・・結構短いけど。とりあえず、今日くらいはやすむべよ。