なんだか、ビートルズを聴きまくりたくなって、ウォークマン用の「Xーアプリ」を立ち上げた。「Beatles」の項目はもちろんあって、プルダウンをクリックして開く。見てみてちょっとびっくりした。ビートルズの項目には前期のアルバムしか入っていなかった。前期とは、「please please me」から「Revolver」までだと個人的には思っている。revolverやrubber soulあたりから、本格的にレコーディングに凝るようになっていく。当時、ライブで再現不可能な楽曲も増えてくる。全体的に明るい曲調のものが多い。今の気分とまったく合わない。
(もう面倒だからカタカナ)仕方がないから、「アイム・オンリー・スリーピング」をかける。
こう書きながら、書きたい内容に進むのを拒否している。
ハゲックスさんの事件に少々動揺している。
どちらかというと、それに付随したズイショさんやフミコフミオさん、やまもといちろうなど、追悼文や今現在の気持ちを書き綴ったものを読んで精神的にやられたというのが近いのかもしれない。特にフミコさんは、ため込まないでブログの文章でぶっ放した方が良いと思うので、皆さんが間違った行動を取っているとは思えない。
私が精神的に貧弱なのだ。
ハゲックスさんこと、岡本さんのご冥福をお祈りしたい。
この一、二年で時代の節目を象徴する事件や事故が多発していると感じる。
この事件もそんなターニングポイントなのかもしれない。
以下、事件やその感想、追悼文を読んでいて浮かんできたことをメモ書きする。少々厳しいことを書いているが、この過失があったからハゲックスさんは殺されたのだ、としたいのではない。あくまで、今後のための教訓である。
我々は最近特に、「報復」という概念を忘れているように感じる。
人は怒れば報復するのだ。報復の理由が理不尽であるとかは関係ない。重要なのは報復者の感情だ。だから、できるだけ誰とも揉めないほうがいいし、相手を非難する場合、最大限に法律に従った方が良いのである。リアルな世界でもそういう感覚が支配しているように感じる。
特に法的な措置をとらずに相手を攻撃するということは、相手からも攻撃される可能性を受け入れるということだ。それを我々は失念していた。
誰だって、生存を脅かされれば、生存をかけて行動を取る。
次に、自分は相手と会ったことがなく、相手のことを全く知らない、ということを肝に銘じるべきだ。これも忘れている。知っているつもりになっていても、ネットだけの関係を既知の関係というのはかなり困難だ。
直接会ったことがあったって、相手のことを十二分に理解することは難しく、理解し合えたと思っても、それは虚像だったりする。人と人がわかり合うのは難しい作業である。
自分が相手をコントロールできているというのは大いなる錯覚だ。
ただ、上記の教訓めいたことをハゲックスさんが満たしていなかったとしても、自業自得だと言い切れるかというと、そうとも言えない。ハゲックスさんはルールの変更が、これから強制的に起こるということを知らなかったからだ。残酷なことに自分の死をもって知ってしまった。
そう考えると、複雑な心境になってしまうのである。
なんにせよ、加害者の凶行は容認できない。
ただ、自分が正義だからとふんぞり返っていても、殺されてしまってはかなわない。
不文律として、「ネット上のやりあいの報復はネット上で」というルールがあったように思う。まさか物理的な攻撃がやってくることはない、という感覚が根底にあったが、それはもう幻想だ。
それにしても、こんなに過疎っているブログでもどこかで誰かの恨みを買っているのだとすれば、とても恐ろしい。自意識過剰であると信じている。
文章を書いたら少し落ち着いた。