今日の十分日記

今日の十分日記

原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

秋風に誘われて、千葉・市川市の蓴菜池で魅せられた紅葉とじょんがら節

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2023年もあとひと月

などと月並みなことを書いてみる。

 

前回の記事を書いたのが、なんと七月なので、下半期はほぼ記事を書いていないことになる。

雑記ブログなので気構えないで自由に書けば良い、とハードルを下げて、日記のようなものを書いていく。パソコンが処理中なので暇なのである。

 

ここのところ、何気ない秋を探して自転車を走らせていた。街中で見つけられる紅葉スポットを探していたのである。とはいうものの、日が暮れるまでのタイムリミットが短い。だいたい、4時過ぎには暮れ始めてしまう。午前中から一日かけて気合いを入れて、というわけでもなく、日々の運動を「紅葉狩り」に変えただけなので、数時間で一気に回っている。

 

千葉県の市川市に「蓴菜池」という場所がある。市川は変な地形で、舌状に張り出した国府台という台地から先、古代は海だったらしい。その海岸線に松が生えていて、その海岸線に沿って走っているのが京成線である。

その台地は戦国時代は北条氏康や北条氏綱と里見氏がしのぎを削った場所である。氏康と戦って敗れた里見氏の敗残兵が逃れてきた地が、この「蓴菜池」という場所らしい。そこには悲しい伝説がある。

じゅんさい池の渡り鳥

戦に敗れた里見氏の武将の姫がここで身を投げたのだそうだ。

戦に自分の娘を連れてくる武将があるのかどうか、少々疑わしいのであるが、類似のなにがしかの悲劇があったのかもしれない。

じゅんさい池のもみじのトンネル

池の周囲には遊歩道があった。

前を通過したことはあるのだが、たっぷりと時間をかけて散策をしたことはなかったので、このついでにしてみようと思い、自転車を降りた。

一番奥に、メインの池とは分けられた小さな池があった。ここではイノカシラフラスコモという水草が育てられていた。絶滅危惧種の日本オリジナルの水草らしい。神川の上流で発見された車軸藻という品種であり、陸上の植物の原種かもしれないという貴重な種類だ。

イノガシラフラスコモ

その小さな池の真ん中を通した道が、紅葉がきれいなトンネルになっていた。

赤のトンネル

池の端

発光

池の周囲の遊歩道には、おじいさんとおばあさんのカップルや、高齢者がゆっくりと散策していたり、おじいさんが血相を変えて速歩していた。入り口の四阿で、三味線の練習をするおじいさんがいたが、プロ並みに上手であった。弾いていたのは、津軽じょんがら節であったと思う。

 

じょんがら節は青森の上河原に伝わる伝説を元にしている。戦国・安土桃山末期の1597年に津軽為信がこの地を攻めた。この地を治めていたのは、千徳政氏である。津軽為信は、勝利した後に千徳氏の墓を暴こうとする。それに抗議したのが、菩提寺の住職である常縁であった。常縁は津軽氏に追われ、浅瀬石川に身投げをしてしまった。その河原が、「常縁河原」と呼ばれるようになった。それが転訛して「上河原」となった。この常縁の物語を基底にして作られた曲が、「上河原節」で、それが後に「じょんがら節」となったという。

 

晩秋の池のほとりで、その鮮烈な哀調を聞いていると、景色が切なさを帯びていった。ちなみに、派手な曲調を聞くと、私はそうじて「津軽じょんがら節」に聞こえるので、もしかすると、他にも存在するじょんがら節なのかもしれない。

しかし、本当にその弾き手はプロであったのかもしれない。

入り口は谷底のように坂と坂の合間にあった。その脇には、大きな銀杏の木が立っていた。周囲には、高校生の男女が仲良く坂を下って登るという、非効率な作業をしていたが、みなとても美しかった。

坂の底の銀杏

じゅんさい池入り口の石灯籠

※この記事のタイトルは、chat-gptが作成した。