池波正太郎をめざして

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明日は明日の風が吹く

今の心境にあわせてブログ名を変更しました。どうぞよろしく。肩の力をさらに抜いてやります。

「第十四回 短編小説の集い」感想集

 

 孤独のグルメのDVDを奪い合っているまさりんです。

 「孤独のグルメ」は現在シーズン5をやっています。その影響か、TSUTAYAのレンタルもないんです。飛び飛びに見ています。といっても、あまり困らないんですけどね。それがあのドラマのいいところです。

 さて、今回は先日・・・・・・といっても、かなり時間が経っていますが、締め切りがあった、「第十四回 短編小説の集い」の感想を書いてみました。今回は「私ならこうする」のコーナーを設けてみました。少数精鋭なので、ちょっと知恵を絞ってみました。とはいうものの、作品にケチをつけたいというのではありません。いろいろな人からダメな部分の指摘もしていただいています。それは参考になりますし、それをしてみたいとも思うのですが、上手にできるかわからないので、移行措置として、こういう試みをしてみました。失礼なことを書いてあるかもしれませんが、そこは慣れないことなのでご容赦下さい。

 主催者様、よろしくお願いします。

 

novelcluster.hatenablog.jp

 

karasawa-a.hatenablog.com

「スープが冷めないうちに」 からさわさん

 数学の難題を解く人や絵を描く人、小説を書く人など、自宅や作業場に籠もって作業する人には、「旦那さん」のような人がいるそうです。特に数学の難問を解く人は、人と全く話さないで、数ヶ月籠もるそうです。人と話してしまうと、イメージがずれていってしまうそうです。だからか、私たちが知っている高校の数学の先生のレベルでも、数学の先生は偏屈な人が多いですよね。このせいで、とても狭い世界に閉じこもるからかもしれません。

 展開がいいですね。立場が入れ替わるニヒリスティックなところが良いと思います。そしてそのきっかけになる発見も旦那さんの本のなかからです。からさわさんご自身がとても読書が好きだからこういう展開になっているのではないでしょうか。

<私ならこうする>

 この「短編小説の集い」というのは、第三者の視点で書くことを推奨しています。しかし、これはおすすめしているだけで、ルールではないと、私は勝手に解釈しています。というより、この集いはかなり自由にやらせてもらえるのがいいところです。ここでもしもやるとすれば、旦那さんか奥さんか、視点をどちらかの主観にしてしまうというのはどうでしょう。そうすると、もっとできることが増える気がします。

 私ならやはり旦那さんの視点にすると思いますが、このお話のいいところは、どちらの視点でも面白いものになるということです。とても魅力的なお話です。

 とはいうものの、これは押しつけるわけでも、これが正解だといいたいわけでもないですよ。

 

syousetu.hatenadiary.com

「惑星ラウレンティスの謎肉」 みどりの小野さん

 フェーヤを引っこ抜いたときに発した謎の言語、「Фея леса」は「妖精の森」という意味のロシア語らしいです。そう考えると、他の言葉にも引っかかってみたくなります。もしかすると「ラウレンティス」はイタリアの実在のセレブシェフかもしれません。彼女は七〇年生まれで、料理番組の司会から女優、作家までこなす人らしいです。彼女のもとへ行くということは、「料理される」という意味なのかもしれませんね。料理材料を探しに行くのに、皮肉なものです。

 また、ラウレンティスがこういう人なら、「ケイ・ミオカ」にもモデルがいるか、意味があるのかと思って検索してみましたが、それはなかったです。「ティンカー」はティンカー・ベルから取ったのかなと単純に思ったのですが、もともと「ティンカー」には「困った子、いたずらっ子、下手な職人」などの意味があります。つまり、船の頭脳といいながら、まるで役に立たないという暗示です。主人公「ホシノ・ケイジ」は断言します。星新一とニコラス・ケイジを合わせたものです! どうして小野さんが合わせようとしたのかは不明です。冗談ですよ。

 対比として、ホシノが住む地球が描かれています。コンピュータが管理する穏やかな世界。人間はとても順応性の高いので、コンピュータが提示する、ミスのない世界にも慣れてしまったのかもしれません。

 一方で到着した星は対照的に自然に溢れています。不確定要素も多いということです。やはり人間がそこにいくと順応してしまいます。そして、一見すると人間らしい行動を取り、その果てに後悔することになります。

 ただ、それは人間性を取り戻したのではなく、環境に順応したというだけなのかもしれません。でなければ、ラウレンティスに行っても、変なものは食べず、肌を合わせずに帰ってきたはずですから。人間が変わったのではなく、環境に応じただけなのです。

<私ならこうする>

 大上段で構えた名前ですが、軽い気分で読んでやって下さい。ケチをつけたいわけではありません。もしも付け加えるのなら、ということですので。

 と書いたものの、付け加えるべきことはないのかもしれません。ただ、もう少しこの設定の地球の様子を見てみたいとは思います。たぶん、この話はエピソードⅢくらいなんでしょうね。エピソードⅡで「ホシノ・ケイジ」の父親が誰かわかり、腕が機械になります。そのくらい広がりがある話です。けれども地球の生活だけでも入れてしまうと、たぶん拙作のように後半がダイジェストになってしまいます。難しいものです。

 

 

diary.sweetberry.jp

「スイート・ベジタブル」 なおなおさん

 かぼちゃを使った料理の描写に力を入れていることがよく分かります。また、味がよく伝わってきます。なぜ女の人はかぼちゃが好きなんでしょう。私が十代の頃、この時期の我が家はかぼちゃ祭りになっていました。しかも、趣向を凝らした料理ならよいのですが、いつもかぼちゃを醤油で煮付けたものばかり・・・・・・。そんな子どもの頃を思い出しました。ついに誰も箸をつけなくなりましたから。母親以外。

 結局、役職等は想像するほかないのです。おそらく、主人公神坂と乾は同僚でしょうか。後半での会話は敬語なしに進んでいるので、そうでしょう。茜さん、京子さんと呼び合っていますから。そして、神坂は部長からの八つ当たりというパワハラの末、退職を余儀なくされます。これは最終的には乾が手を回してなんとかしてあったということになります。労災が認定されているということは、会社が公式に認めた状態であったということです。それとも、これも乾が尽力したのかもしれません。ただ、神坂は平社員なのだと思うのですが、神坂と同僚である乾が部長に昇進します。

 この状態を乾が解決するというのが「食」の裏テーマだと思います。

 

<私ならこうする>

 上でも書きましたが、あくまで「私ならこうする」という話なので、気になさらずに参考まで、という感じで軽く読んでやって下さい。また失礼な表現がありましたら、申し訳ありません。先に謝っておきます。

 どうして乾がこのようなことができるのかだけは別途説明が必要だと思います。それ以外の人間関係などは、説明は不要です。行間を取っていくと、一応想像可能なので。

 説明というのは加減が難しい行為です。やりすぎると、くどくなります。やらないとわかりづらくなります。ただ、(なおなおさんではなく一般的に)最近の諸作品は映画にしても何にしても、説明のしすぎなところがあると思います。だから個人的には説明は最小限にしたいです。もちろん、今回いろいろな方に指摘されたように、説明が足りないのでは仕方がないですけどね。

 「スイート・ベジタブルの料理の描写」がきちんと出来ていると思うので、なおなおさんは描写力が非常にある方だと思うんです。それを前提に書きます。

 たぶん、「神坂がいじめられ会社を辞める」まで、それと、「辞めて引き籠もっている生活」、「そこに乾が来て世話をしている場面」、この三つを説明ではなく私なら描写で書きます。そうすると上記した複雑な人間関係がスキッとわかるようになると思うのです。一応、この三つが裏テーマだと思うので。ただ、五千字という条件を思い出して、いつもため息をつくのですが。最低限、「いじめられている場面」はその後の野菜を収穫する作業との対比として有効なので、書くかなあ。

 気分を害されたら申し訳ない。今回応募数が少ないので、実験的にこういう試みをしてみました。失礼しました。

 

donutno.hatenablog.com

「美食家のテーブル」 ドーナツの穴さん

 一見でやって来たお客さん。予約でいっぱいだったので、店長はいわく付きのテーブルへとお客さんを案内する。実はその席は昔から通うあるお客さんのためにあるテーブルです。そのお客さんは実に完璧なオーダーをする人でした。その一見さんは実は。

 というのが文章の内容です。「美味しんぼ」じゃないですけど、料理をテーマですごいお客さんを描くというのは、それに加えてストーリーも入れるというのは実に難しい作業だと思います。レシピがあると確かに良いかもしれませんが、それもリスキーです。結局料理の善し悪しの評価というのは権威がなければ通用しません。なぜなら、それは人の好みによりけりだからです。だから、レシピを具体的に出さなかったのかなという気もします。

 なんにせよ、物語の重要な要素でありながら、要素でしかないレシピの内容。ストーリーとしてはとてもすっきりとしていて、個人的にはとても良いと思います。

<私ならこうする>

 舞台はやはりフランス料理がいいんですかね。注文の仕方でやるなら、蕎麦屋という手もあります。池波正太郎ではないですが、オツな食べ方というができます。まずは、板わさとお銚子で飲んだあとに、ふと切りの蕎麦を食べるような感じです。また、「知らない料理を教えてしまう」というのも手です。「こういう風に作ってくれないか」とか言ってしまうパターンです。ただ、蕎麦屋だと後追いで息子がやって来るという物語にふさわしくない気もします。こういうのはやはりフランス料理か。

 またオーダーだけじゃなく、誰からも愛される人物を造形してしまうのも手です。もっとこぢんまりとした店を作って、常連客から愛されている人物です。その描写が大変そうですが。私なら、オーダーの内容じゃなくて、こっちで頑張るかな。

 上記しましたが、どちらにせよ、「私なら」という提案なので、これが正解でも不正解でもないです。それに、私にはこれは荷が重すぎて書けない気がします。

 

masarin-m.hatenablog.com

「センチメンタル」まさりん。

 拙作です。

 いろいろな人の感想を読ませていただきましたが、「人物たちの関係がわかりづらい」というのと「後半がダイジェストになってしまった」というのが今回の反省です。

 「背景と物語、人物が分離する」に続いて、反省点が増えてしまいました。気をつけていきましょう。

 また指摘される方が多かったのですが、食客としての展開をもう一段考えていました。書き切れなかったのです。

 真っ向勝負していなかったのは自分だけですね。

 

kannno-itsuki.hatenablog.com

「石榴」菅野樹さん

 ・・・・・・うまい。この一言です。

 以前は戦国時代の話や江戸時代の話を書かれていました。その時代にはその時代の文章を書かれています。今回はおそらく第二次世界大戦当時、しかも学徒出陣が始まった末期のころだと思います。その当時を思わせる近代文学の文章で書かれているのですが、どうして近い時代の方が硬い文章になるのか、それが不思議でした。

 「食」感をテーマとしているのに、「歯に染みるほどの甘さ」など味覚の描写だけでなく、鮮やかな色彩で視覚、「炒ったお茶」、「沈香」で嗅覚、「秋の虫の声」で聴覚、「水羊羹の舌触り」、「久留米絣」は触覚、といった具合に、五感を余すことなく刺激しているように思えました。絵がすっと浮かび上がり、そして感覚が身体を伝うような上品な感覚に浸ってしまいます。

 この作品のようなテイストがとても好きです。文章に五感がたゆたってしまいました。

 菅野さんには今度、全開で「文章スケッチ」をやって欲しいと思います。すごいものが出品されそうです。

<私ならこうする>

 あるわけないじゃないですか。引いても足しても、やりすぎです。

 

tokimaki.hatenablog.com

「人生半分」 ときまきさん

 ラーメン屋を廃業する前日から来し方を振り返る物語から始まります。年齢からいって、リタイアにはちょっと早く、新しく何かをするには年齢をちょっと重ねすぎているのかもしれないという主人公。でも、新しくやらねばならない理由が最後に語られ、それが胸を打ちました。「じゃあ仕方がない」と思ってしまいました。

 不安と諦めと、障がい者スポーツをやる若者がそれを象徴しています。(書くのはいやですが)障がいを持っていれば、人生を諦めてしまっても仕方がないのに、めげずに頑張る姿に主人公は食い入ってしまうわけです。全体にある、不安と、希望というより向かい風に立ち向かって進まなければならないということに対する覚悟が良く出ている作品だと思いました。

 面白いなと思うのが、普通の街中の洋食屋さんが秘伝の味とかあまりいわないのに、ラーメン屋ってこういう話が似合うなあということです。そういう番組を昔よくやっていたからでしょうか。

<私ならこうする>

 ストーリー的には申し分がないくらい面白いと思います。味の描写も良いと思います。

 もう続篇をどうしようか考えるだけですね。文字数もいっぱいいっぱいですものね。ラーメン屋で働いていたところを足すと、共感が得られるかな。それくらいだと思います。いい作品です。

 例によって「私ならこうする」であって、これが正解だといいたいわけじゃありませんよ。

 

nogreenplace.hateblo.jp

「ビスケット」 主催者様

 途中まで読んで、嫌な予感がしてしまいました。このところ電子書籍の出版をされていた主催者様、それもホラーを書いていたという主催者様。文中、交換を終えたあと、せっちゃんが「普段通りでいいと言ったのに」という文言が出て、ショウちゃんが「刺身なんていつも出ないから」というやりとりがあります。それを読んで、はたと止まってしまいました。「せっちゃんちの『いつも通り』ってどんなだろう」と想像してしまったのです。嫌な意味で。はっきり書いてしまえば、スプラッターなものを想像してしまいました。通常食べるべきでない肉とか、そういうものを。白ワインを「緑色っぽい酒」と表現していたのも、すっと頭のなかに浮かんでしまいました。確かに薄く緑色ですけれども、それって本当にワイン? 恐い話があまり得意でないので、この先読むのが恐くなりました。が、温和なお話で終わって良かったです。

 食事と家の文化は結び付いているものです。東京には世界中で一番、各国の料理が集まっていると言われるくらいで、日本人は食に関しては寛容なところがあります。でも、幼少期に親から与えられた環境は、結構な大人になるまで崩れません。いや、基本的な部分では大人になっても崩れないのかもしれません。父親同士を交換したらわかるかもしれないですね。たぶん、子どもたちより、ブーブー文句を言うかもしれませんね。

<私ならこうする>

 主催者様に対して(主催者という名前にすると、自動的にこういう言葉遣いになりますね)、大変失礼ですが、ちょっとこういう試みをしてみました。悪意はないです。

 上でも書きましたが、何らかの手で、父親同士を交換せねばならないという話にしてみてもおもしろいですね。それも一週間くらい。大人は一日くらいなら耐えてしまうので。

 そのときはビスケットではなくて、「酒」がキーポイントになるのでしょうね。

 

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