ちょっと小説を書いていて、それが煮詰まったから気分転換にブログを更新しよう。
いや、それを応募するかどうかも分からないんだ。書きたいから書いてるってだけで。面白くなるかどうかも分からないしね。
学校に行きたくない?死ぬほどつらいなら行かなくていいよ! - 自由ネコ
親も外の世界を見せることを、もっと強要した方が良い・・・・・・。独身税いるか?
2017/09/02 18:03
かほく市ママ課「独身税」提案 財務省主計官と懇談 - 北國新聞
喧嘩売る相手間違ってるぜ。給料が少ないのは政治のせいか? もっとも、この女性たちは政治の本質は理解している。結局はリソースのぶんどりあい。理がない者は喰いもの。そろそろ誰か本音を言ったら?
2017/09/01 17:38
九月一日。
今年もやはり(関東では?)東京と埼玉で自死する若者が多いんだそうだ。本当は自殺の話題を流布すると自殺願望者の背中を押すことになるらしい。特に有名人の自殺はそうらしい。だから、話題としてはあまりふさわしくないのかもしれないが、九月一日の若者の件については、周囲の大人のフォローが残念ながら届いていないケースが多そうなので、少し触れた方がいいと考えた。
以前、「九月一日」という小説を書いた。
九月一日に学校に行きたくない、と思っている中学生の話だ。
その中学生を立ち直らせるという話にしたかったのだが、誠実に考えると、そんなに大人が「大丈夫だ」とか無責任に言って良いんだろうか、ということにぶち当たった。特に、いじめではなく学校で学習面などでうまくいっておらず、先生たちからも疎まれていると感じている中学生の設定だったので、そうだった。
イメージとしてその中学生は私立中学の生徒とした。学習面に力を入れている、ちょっと昔気質の管理教育をしている学校だ。そこから公立中学に移動するというのは、実は大変なことだ。相手の公立中学はしぶるらしい。そりゃそうだ。もう問題ありきなのだから。また移った後にいじめにあってしまう可能性もある。
総合的に考えて、アドバイスをする人間は迷ってしまった。
アドバイスをした人間は塾の先生だ。だから、学校のことを少しは知っていた。
というより、学校の先生ではない私だって、それくらいのことは知っている。
確かに色々な人が言っているように、死ぬことはないのである。
ただ、死んでしまう人は死ぬほどつらかったのであるから、「死ぬことはない」という言葉は届かない可能性がある。特に人間関係で悩むとそうだ。他人の言葉を素直に聞くことができなくなるからだ。
ではどうするのか。けっこう難しい問題だ。
最終的には信頼されるべき、親などが気づくしかない。死ぬのを止めるのはそれしかない。止めたあとのことを考えると本当に溜息が出る。
短編小説の集いの主催者様が「アフターフォローのことを考えろ」というブックマークをしていたが、本当にそうだ。途方に暮れる。
これが本音です。