自己肯定感がひくかった私におきた「ヤバイこと」についてかきました✒ pic.twitter.com/K4HSYNPzIN
— あかり*生き辛いOL (@engawa_akari) August 5, 2019
Twitterに自己肯定感がトレンドに上がっていて、どうも上のツイートが発端であるらしい。
読んで思ったことを書く。
これを普通だと思ってしまう自分が怖い。
どうして我々みたいな人間が生まれてしまうのか、というとその責任の一端は学校の教室の構造にある。といっても、これはスクールカーストの話ではない。あれは半分幻想で、あれを受け入れることでスクールカーストが出来上がってしまう。
もちろん、アメリカなどでスクールカーストが存在するのは間違いない。だからこそ、そのカーストの底辺にいそうな男の子が主人公なスパイダーマンが人気なのかもしれない。
さて、スクールカーストは無視するとして。
一番の原因は教室のなかで主人公になれる生徒が、少人数だということだ。
学級長になれるのは一人だけだし、学業で一番になれるのも一人だけ。
部活でもそうだ。レギュラーになれるのも一部。だいたい、学年の一割くらいが主人公になれる。あとの九割は引き立て役だ。
学校外に世界を持っていればいい。習い事でもいいし、昔は暴走族だって、学校外の居場所になったのだろう。
今はそれがネット上に移された。だが、ネットでいくら有名になっても、リアルの世界では何も変化がない。留飲を下げるだけだ。
勘違いしてはいけないのは、はあちゅうなど有名な人々は元々有名であることが多い。高学歴で大企業出身で、もともとネットであるか、リアルな現場であるかの差でしかない。
だから、冒頭のツイッターの彼女のように肯定感が低い人間が増えてしまう。
大学入試ももしかすると五割が行くようになると、それが達成感にはつながらないのだろう。
子どものうちは達成感が得られる。箸を持てるようになるのも達成感につながる。だが、思春期から達成感を得るのが難しい状況が増えるのではないだろうか。努力が結果に結びつく経験が達成感を得るということだが、そういう状況が削られる傾向にある。若者を試すこと自体が緩和される傾向にあるのである。
大人から達成感を得るのは結構難しい。もともと個人的に芸を持っている人間ならなんとかなるのであるが、基本的に大人になってからは集団、組織で動いて結果を出すことで達成感を得ることが多いからだ。組織の足を引っ張ると誰も助けてくれない。
わがことながらどうしたらいいんでしょうね。
九月一日の教室が始まれば、今年も愁嘆場が始まるのである。
学校自体を変えるしかないのだが、学校制度を作っているのも学校で勝ち抜いた奴らだ。制度自体を変えるという発想はないだろう。
常々言っているのだが、学校を変えるには学校でうまくいかなかった奴がやった方がいいし、世の中をバリアフリーにしたければそうならなければ困るやつがやった方がいい。今の世の中で何も困らない。むしろそちらのほうが有利な奴が制度設計しても、なにもかわらない。
そんなものの犠牲になる若者が再生産されると思うと、過去生産された者としては悲しくなってしまうのだが、力のない身分としては助けようがない。
iPhoneにヘルスケアというアプリがあって、そこに緊急連絡先とかを入れておくと、何かあったときに、スリープから指紋認証などを経ないで、いきなり緊急連絡先に連絡できるように設定できる。そのアプリには健康のために重視しなさいという項目が四つあった。「アクティビティ」、「睡眠」、「栄養」そして「マインドフルネス」だ。アクティビティは運動の意味、睡眠・栄養、はわかる。これらを入っているアプリと連携させることで、管理しやすくなる。アクティビティはRuntasticというアプリで連携していた。開けてみたら、ここまでやったアクティビティがびっしり記録されていた。
いまだにマインドフルネスがなにを意味しているのかわからない。
マインドフルネスにはなにをすればいいのだろうか。冒頭のひとみたいに、寝る前に自分ができたことを三つ考えればいいのだろうか。