今日の十分日記

今日の十分日記

原点回帰の雑記ブログ。十分で書ける内容をお届けします。十分以上書くときもあるけどね。十分以下もあるし。

「あけましておめでとう」と書いてもいいのか

スポンサーリンク

一月一日、今年の正月と去年の末は少し余裕があった。

喪中だったからだ。

喪中というのはそれほど経験のあることではない。だからか、こういう時の正月に、何をして良くて、何をしたらいけないのか、正確にはわからない。

 

初詣やおせち料理、当然年賀状は控えた。

けれども、ネット情報によると年越しそばは食べても構わないそうだ。

「祝い」というのが、一つのテーマであるらしい。

 

自粛というのはとても興味深い作業で、ただ平日と同じように過ごしているだけなのだが、人と違うことをやっているだけで、なんだか懺悔しているような気分になる。そして、二十代にはこれを食らっていたなということを思い出してしまった。病気が暴走しないように普段と変わらず過ごしているだけなのに、なぜか寂しく、反省している気分になってくるのだ。このシーズンならではだろう。

 

NHKのニュースで散々、年末の風物詩として帰省する人々やアメ横の人々の様子を描いた後、「こういうシーズンは他人と自分を比較して、寂しい気分になってしまうので、孤独を感じたらこちらの番号に電話してください」という、飴と鞭を視聴者に与えていた。地獄かよ、と鼻で笑ってしまった。全ての人に配慮するというのが、裏目に出てしまっているのだ。孤独を感じている人は、この時期にテレビなど見るのだろうか。いや、老人でもはやテレビを見るしかない人は、見てしまうのだろう。

 

今日、久しぶりに5キロ超のジョギングに行った。網膜剥離になって手術したのは9月のことで、2月で半年になるのだが、主治医はあまり活発な運動はやらせたくないらしい。ウォーキングを中心に年末まできて、年末から2キロから3キロの軽いジョギングに切り替えた。今日から、5キロ走るようにした。走り方はLSDにした。これは「ロング・スロー・ディスタンス」という走り方で、ゆっくりと長距離を走るやりかただ。「ゆっくり」がどのくらいがいいのか、目安はあまり心拍数が上がりすぎて、息が上がってしまうようだとペースが速すぎる。息が上がらない程度のペースでゆっくりと走り続ける。極力止まらないというのがルールだ。

 

いつもいるのかもしれないが、走るコースでおばあさんの姿をよく見た気がする。

日が暮れた五時から走ったが、寒い中ベンチで座っているひとや、歩いている人を多く見た気がする。

もっとも、私の方の気分が下がっているからそう感じるのだろうが、どうもみな寂しげにしている感じがした。

 

気分を変えよう。

 

こういうブログで「あけましておめでとう」という挨拶を書くのも、いま穢れている私どもなどが言ってはならないことなのかもしれない。だが、みなさんの多幸をお祈りはしている。昨年は悪い意味で、とても濃密な一年であったと感じる人が多かったように感じる。さきほど、「ブラタモリ」と「鶴瓶の家族に乾杯」のジョイント番組で、鶴瓶が「今悪いことが起こったのは、ボーナスポイントが貯まっていると思え」と言っていた。まあ、そう思うしかないよね。腐っちまうのが一番いけない。他人に攻撃されたことで、他人にクサクサするくらいなら、切っちまったほうがいいのかもしれない。というと、怒られそうだが。

 

今年の目標は、今やっている最中の作業を時限を切って、失敗でもいいから結果を出すということだ。あまりのんべんだらりとやっていくのもよろしくない。もう、コロナに遠慮するのもやめようと思う。行きたいところには行こうとかんがえている。大人しくしていれば、コロナにはならないが、他の害がいよいよ出てくるだろう。若干、治安の悪化が気になる。今年の春暖かくなった時期が少し怖い。どこの地域でも、近所に奇行を行う人がいるだろう。そういう人のテンションが上がる時期が今は怖い。

 

以前書いたかもしれないが、いまの日本人は強制的に入院させられて、退院したばかりの状態だ。こういう時はテンションが上がりすぎてしまって、妙な全能感が出てしまう。いわゆる躁状態なので、短絡的な凶悪犯罪が増えると思っていた。今年の年末は、そういう話を聞く機会が多かったように感じる。もちろん、統計的には瑣末な差なのだろうね。いつも、千件起こっていた事件が千百件になっても、たいした差ではない。いや、一割は大した差か。けれども、治安の悪化を感じるのは、オレだけなのか?

 

とにかく、今年も頑張りましょう。